Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

読了「芸術のパトロンたち」

2023年11月03日 17時18分19秒 | 読書

   

 「芸術のパトロンたち」(高階秀爾、岩波書店)を読み終わった。第3章までは以前にも高階秀爾氏の著書でも読んだような気がするし、また他の方に引用されたものを読んだのかもしれない。
 第4章「新しいパトロン」と終章「パトロンの役割」はこれまでにない視点に着目した論であると感じた。
  特に第4章の「政府・収集家・企業」の節は政府・企業に着目しての論で、興味深く読んだ。

今日では、コレクションの所蔵者は、各種の美術館をはじめ、政府その他の公共機関、公私の諸施設、一般の企業、そして個人の収集家など、きわめて広い範囲にわたっている。このような多様性と拡がりがまさしく近代の特色に他ならないのだが、政府の果たす役割は次第に大きくなっていることが指摘できる。もっともそのあり方は、国によって大きく異なる。フランスのように、芸術の保護と振興を国家の政策として推進している国もあれば、アメリカのように、芸術活動は民間主導に委ねるべきで、政府はなるべく関与しないほうかよいと考える国もある。」(第4章)

1970年代炉からそれまでになかった新しい現象として銀行、商社、メーカーなどの民間企業が芸術活動の支援に参加するという傾向が見られるようになった。」(第4章)

フランスにおいても企業の文化支援活動を肯定的にとらえる見方が一般的になってきたが、それを支える理念として次の三つの点がある。第一に、かつての王侯貴族や政府官僚に見られたように、パトロンはしばしば要求過大、その「保護」は容易に「介入」や「統制」を伴う傾向があるが、その危険を避けるためには、単独であるよりも、多くのパトロンの協力があったほうがよいとする考え方ある。「財源の複数性は文化活動の独立性と活性化の最良の保証」である。第二に、企業はまずその従業員に対して責任を負っているが、その責任には、生活の安定や仕事の供給だけでなく、文化的環境を提供することも含まれなければならない。第三に、文化は経済活動の支えともなるものである。」(第4章)

現代では、パトロンの主体も、その活動のやり方も多様化し、複雑な様相を見せるようになっている。作品の買い上げや制作注文などの直接的パトロネージ、美術館の設立に加え、現代作家の展覧会の開催や援助、芸術家容世のための支援、芸術家の国際交流の促進、聖性の整備、顕彰、などいろいろな方策が試みられるようになってきた。ひのひとつに、「パブリックアート」がある。都市の公共空間を芸術作品で飾ろうとするもので、一般市民たちが日常生活の中で芸術に接する環境を作り出そうというのか狙いである。」(終章)

パトロンの主体とあり方が多様化してきたことは、芸術の振興と文化の向上にきわめて望ましいことであるが、新しい問題を提起する結果ともなった。すなわち芸術作品に対する意見の相違の問題である。公共の場所に設置された芸術作品が、市民たちの指示を得られればそれでよい。だが時には地域の住民の強い反撥を招く事態が生じてきた。・・・・「パブリックアート」の場合、税金が使われる以上、一般市民は単なる観衆ではなく、最終的にはパトロンである。パトロンでありながら芸術家や作品の選定に充分に自分たちの意見が反映されていないという点に、市民たちの苛立ちや反撥の大きな原因があるとも言える。」(終章)

市民たちの間にも、価値観の多様性がある。拡散してしまったパトロンたちと、それぞれに自己の世界を追及しているきわめて多元的な芸術家たちとの間を、どのようにして調整を図るかということが、現代のパトロネージの大きな問題であり、さまざまの方策が模索されているのが現在の状況である。」(終章)

 芸術(家)と国家、行政、企業との関係は日本でも戦後からきわめて厳しい議論が為されてきた、古くて新しい議論である。同時に最後に引用した「パブリックアート」の問題点は、現代芸術の多様性と個別化、の問題と同時に受け手の多様性と個別化、あえて言えば芸術作品における普遍性の解体という議論も含んでいる。
 音楽や建築なども含めて、評価や価値の軸が実に細分化されているのが現代である。
 高階秀爾氏は常に時代を踏まえた提言と批評をしていると感じる。

 これはいつまでも考えさせられる問題提起である。



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