Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「近代絵画史(上)」(高階秀爾)から その1

2021年06月17日 21時11分28秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 午後雨が上がると太陽が顔を出し、気温も上がり、気持ちの良い天気となった。遠まわりをして横浜駅の外周を回るように歩いた。さらに遠まわりをして自宅まで約1万5千歩ほど。
 途中の喫茶店で珈琲タイムと読書タイム。「近代絵画史(上)」(高階秀爾)を読む。

 こういう丁寧な入門書では、好きな画家に対する言及が気になるものである。好きな画家をどのように捉えているか、など興味がある。

 例えば本書では、近代絵画はゴヤから解説を始めている。そのゴヤについては、
「「規則」を重んじ、規制の形式の習得を金科玉条としたアカデミーに対し、制作における「自由」を徹底的に主張した点で、明白に「近代」を示していた。それはいわば、芸術における人権宣言であった。‥彼は、はっきりとロマン主義を予告している。‥世紀が変わり、ナポレオンの擡頭と失脚があり、ロマン派の「革命」が登場して、歴史は彼が横視した方向に静かに動いていった‥。」

 カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒについては、
「ロマン派特有の「現実逃避」が、自然との神秘的な同化のなかで、ほとんど宗教的儀式に近い厳かな魂の高揚をもたらしてくれる‥。‥自然は時々刻々に変化するものではなく、永遠に変わらぬものであり、「観察」する対象ではなくて「帰依」する対象であった。‥(彼の描く人物が)後ろ姿だけを見せていて、決してわれわれの方を向こうとしないということは、はなはだ暗示的である。‥われわれを誘って自然の広大な世界に引き入れてしまう‥。‥彼の画面には‥永遠なるものへの思慕が満ち溢れている。ベートーヴェンやブラームスの音楽が表現しようとする世界と同質のものであり、‥世紀末の時代にまで受け継がれていく‥。」
 フリードリッヒの作品について「ベートーヴェンやブラームスの音楽の世界と同質」ということについては、さらに自分なりに考えてみたい。とても示唆的な表現だと思った。

 カミーユ・コローについては、
「すべてのものがまるで追憶のヴェールを通して見るように渋い銀灰色にふるえるイル・ド・フランスのしっとりした空気の感受性に捉えられて、その画面に生き生きとした表情を与えている。(晩年の人物像も)ほとんど動きのない静かなポーズを丹念にカンヴァスの上に映し出し、その姿を通して静謐な抒情の歌を響かせる‥。‥冨も名誉も求めず、ひたすら自然の歌を歌い続けたコローは、‥フランス絵画を新古典派から印象派の入口まで、いつの間にか持ってきてしまった‥。」
 私のおぼろげなコローに対する印象をきちんと表現してもらったようだ。私の印象が決して独りよがりではなかったと思う。過剰に表現するのではなく「静謐な抒情」とあっさりと言い切ってしまうことも必要であったのかもしれない。

 バルビゾン派について、
「ナポレオン帝政の末期か王政復古の初期に生まれ、革命やロマン主義の闘いに参加するためにはいささか遅く生まれすぎ、写実主義の代弁者となるにはいささか早く生まれすぎたいわば中途半端な世代であった。‥印象派のあの眩いほどの多彩な色彩世界を知るわれわれの眼には、彼らの作品はいささか暗すぎるようにも思われるが、そこに定着された情感の深さと表現の的確さは、歴史的なコンテキストを離れてもなお、彼らの作品を魅力的なものにしている。」

 ミレーについて、
「自然を眺めてもつねにそこに、大地の労働と結びついた人間の存在を忘れるわけにはいかなかった。‥農民の生活に向けられたその強い人間的関心とともに、彼をロマン派よりもいっそう写実主義の世界に近づけている。‥ある意味で農民たちを理想化してはいるが、‥単なる風俗の描写以上に、時代を超えてわれわれに訴えてくるものを持っているのは、「真実」の力ゆえなのである。」



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