Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

松本竣介「Y市の橋」

2020年04月22日 22時12分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

                  

 松本竣介の「Y市の橋」を私は興味深く見た。たまたま私がこの絵の横浜駅北側にある場所をよく訪れる、というだけでなく、たくさんのデッサンや習作があり、作者のこだわりも見えて来るからである。見えている橋は月見橋。もうひとつ下流の金港橋から西口方面を見ている。今の横浜駅東口の北改札口の地上出口付近である。
 跨線橋は現在もあるが、再開発で現在は通行止め。将来的には撤去されることになっているらしい。東西を結ぶ広い地下道が出来ており、利用価値はほぼ無くなっている。実際の形とは違っている。
 今回6点を選んで並べてみた。最初の作品は1942年の油彩画。次が1943年の油彩画。これがもっともポピュラーである。色彩的に優れていると思う。3番目は1944年2月の作品。4番目のデッサンと思われる。人物は少し違っている。
 4番目は1944年の油彩画。コントラストが一番明瞭で色彩も構図もシンプル。5番目は空襲で月見橋が破壊された直後のデッサンと思われる。6番目は敗戦後の1946年の作。一番現実の風景に近い作品であるようだ。
 はじめの作品の跨線橋の上部に細い矩形の枠が描かれている。これは跨線橋の上に設けられた欄干とも違い、四角い枠らしいが、屋根があるわけでもなく、よくわからない構造物である。画家はこの跨線橋の太い鉄骨と細い枠、月見橋の橋脚と親柱とそれに続く運河の護岸にずいぶんこだわっている。色彩は抑えられ、橋と護岸の白っぽい色と跨線橋の鉄の黒の対比を強調している。右側の建物のボリュームは小さい。橋とのバランスを重視しているようで、跨線橋は相対的に大きい。
 二番目の作品では一転して青い色彩で覆われ、右側の建物のボリュームが極端に大きくなっている。跨線橋の鉄枠が太くなり、建物のボリュームと辛うじて均衡している。さらに跨線橋の上部の細い鉄の枠はすっきりとまとめられている。私はこのすっきりした構図が気に入っている。実際の作品ではもう少し青い色は透明で明るかったように記憶しているが、記憶に自信はない。1940年代初めの都会風景の極めて明るい青よりはくすんでいるのは、空襲などの戦争後半の重苦しい時代を反映してのことだろうか。
 三番目のデッサンでは再び右側の建物が小さくなり、跨線橋の上の細い枠も再度細かく描かれている。しかし随分構成的に変化している。
 四番目の作品は三番目のデッサンに基づいているが、着色によって手前の月見橋が前面に大きく張り出してきた。この作品はモノクロのように鮮明であるが、中央の大きな枠が尖っておらず、上辺へ向かうベクトルがなく、空が散漫で広すぎる。二番目の作品のように右側の建物の尖った煙突の方が効果的である。
 五番目、橋とその周囲が爆撃で破壊されたことが起因しているのか、現実の風景の構図的な再構成を画家は放棄している、と思う。リアルに風景をデッサンしている。他のデッサンを見ると進駐軍のものと思われるジープが描かれたりしている。
 構図的な再構成を放棄しているのは、1945年8月15日というターニングポイントでの従来の価値の崩壊、いまだに不明確な新しい価値の出現を前にした、画家の戸惑いの反映なのだろうか。少なくとも従来の手法・技法・観察の仕方の一時停止状態があったのではないか。リベラルで柔軟な思考の松本竣介であるが、空襲と敗戦という、モノと精神の両方の破壊を前にして、「観察」に徹したかのようである。
 そのことは六番目の廃墟を画家の心象風景と重ねて現実的に描いた作品に繋がっていないか。ただし右側の煙突らしい尖った構造物のボリュームを大きくすることで、右側に頂点のある三角形の構図が構成的な指向へのこだわりを微かに感じる。

 私は現実の風景を構図的にさまざま変容し、色彩とボリュームの均衡を追求する営為が、一時的な崩壊したように思える。それまでの松本竣介作品とはちょっと違う面が、この1946年の敗戦直後に表れたのではないかと思っている。1947年までかかって描かれた東京の焼け跡を描いた諸作品へと繋がっていく。しかし画家の新しい試みへの再出発は早い。
 風景画から、対象を大きく中央に描く茶褐色を中心とした作品群がすぐに表れてくる。そして1948年6月、突如としてその人生が終焉を迎えてしまう。

 なお、2、3、4番目の作品には黒い人が点景として描かれている。戦前の作品にもよく登場する人影である。私はこの描かれた人は多くの人と同様に画家の分身とみている。最後の作品に描かれていないのも、新しい作品への模索の一環なのだろうか。この後、1947年の「ニコライ堂付近」「塔のある風景」を除いてこの人物は現れなくなる。

 私はこれまで戦前の作品ばかりに惹かれていた。今回敗戦後の松本竣介を主に描いた「青い絵具の匂い」(中野淳)に触発されて、戦後の作品をもう一度自分なりに見直してみたい。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Y市の橋 (葦原の山姥)
2020-04-23 15:00:39
現場は、今はどうなっていますか?
解体予定、と数年前の松本竣介展の時に聞いた気がしますが………
返信する
葦原の山姥様 (Fs)
2020-04-23 21:41:11
お久しぶりです。
現地は今東西ともに階段部分を工事用の仮囲いで囲ってしまいました。
広い地下道ができましたので、利用したいという人はいないと思います。
市の担当課に聞いた時は、「戦前のレールを使用した構造なので保存してほしい」という要望の存在は教えてくれました。しかし橋脚として開放して残すことは難しいとの印象でした。
私から松本竣介の絵のコピーを渡しましたが、担当者が絵画に興味があるようには思えませんでした。口頭での要望の事実は「隠ぺい」はされていないと思いますが、もう何年もたつので文書廃棄されていると思います。3年保存だと思います。担当ももう異動になっていると思います。
私の印象では記念碑的な展示、シンボルができる可能性はあるかもしれません。
近いうちに、もう一度今の状態の写真を撮ってアップしておきます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。