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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「松本竣介-創造の原点」講演と展示

2016年10月08日 22時01分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は神奈川県立美術館鎌倉別館で開催している「松本竣介-創造の原点」を見てきた。展覧会を見る前に、「松本竣介 その魅力をさぐる」という連続講演会の第1回「神奈川近代美術館と松本竣介」を聴いた。講演会場は鎌倉商工会議所のホールということで、展示会場とは15分ほどの距離。講演者は松本竣介の次男である松本莞氏。
 開館間もない神奈川県立近代美術館(鎌倉館)で、1958年に初の竣介回顧展が開催されたことや、その回顧展を企画した学芸員の朝日晃氏やそれを承認した副館長土方定一とのエピソード、竣介の代表作《立てる像》が館に所蔵されることとなった経緯、竣介の妻の禎子にまつわるエピソードなどを語ってくれた。
 作品を語るにあたって家族とのエピソードが重要なのかどうかは分らないが、莞氏の話は竣介という画家の人となり、またそれを支えた妻禎子の人となりの理解には欠かせないものがあると感じた。朴訥ながら丁寧で飽きさせない話であった。竣介の人となりを受け継いでおられるのか、と感じた。同時に松本竣介という画家が戦後どのように受け入れられるようななったか、その根拠は何か、ということを考えるのに大切な示唆をもらったような気がした。まだまだ私の頭の中では整理しきれない。
 講演会の第2回から第4回までは日程が重なり、申し込まなかった。しかし寺田農氏、窪島誠一郎氏、天童荒太氏の講演は是非とも聴きたかった。残念である。
 その後、私は展覧会場におもむき、65歳以上の割引を適用してもらい300円で入場した。別館の展示スペースは一つであるのが気に入っているが、狭いのが難点。本日からはじまるということでオープニングセレモニーもあり、落ち着いてみることが出来なかったのは残念。
 友人であった麻生三郎・鶴岡政男・井上長次郎・寺田政明・靉光の作品が並んでいる。特に鶴岡政男の「死の静物(松本竣介の死)」には惹かれた。同時に対極ともいわれる藤田嗣治の「横たわる裸婦」「ふたりの裸婦」も展示され、松本竣介の藤田嗣治評がかかれていた。これは図録を見ながら触れてみたい。

 図録は充実しているようだ。図録なとば次回もう一度来館した折に購入することにした。
 今回展示を見て、前々から感じていたことを再確認した。それは私の頭の中にある松本竣介という画家にふたつの流れ、あるいはふたつの指向があったのではないかということをあらためて実感した。
 そのひとつは戦後に展開を始めたばかりで竣介の突然の死で中断してしまった。「ランプ」(1948)や「R夫人像」(1941)、「都会」(1938)、同じく「都会」(1940)、「街にて」(1940)などの繊細な線を多用した戦前から戦後にかけて戦争の影に追いやられてしまったモダンな都会を描いた作品群。
 もうひとつは「聖橋風景」(1940)、「鉄橋付近」(1943)、「並木道」(1943)、「運河風景」(1943)、「Y市の端」(1942)などのように建物や道路など建物などの質感・重量感などを正面から描き切った重厚な都市風景。
 多分「工場」(1942)などはその両方を兼ね備えた画風かもしれないが、統一はいい結果にはなっていないように思える。
 自身と家族の像ともいわれる「立てる像」(1941)、「画家の像」(1941)はひょっとしたら後者に分類してもいいかもしれない。人物の重量感ある描写は建物に負けない重みがある。
 人物像や子どもを描いた作品もまた同様な分類ができるかもしれない。
 ここらへんり感想も含めて、もう一度展示を見、もう少し頭の中を整理してから記事を書いてみたい。



   


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