Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「生きる幅」十二句

2018年04月03日 10時55分06秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 生きる幅
雷一閃輸液の管の青白し
冬怒涛藍濃きところ高々と
生きる幅だけの雪掻き雀舞う
カタカナの言葉に詰まり秋あかね
特攻碑に尾は蒼穹へ赤蜻蛉
墓場まで秘して行くもの春疾風
いくさ世の語りに似たりすずめ蜂
冬満月地を這う風と祠まで
病葉落つ輪廻がひとつ終わる夜に
訃の滲むはがき携え寒すばる
どこよりも青き梅雨晴れ骨納む
炎天に墓石するどく手を焦がす



 昨晩、明け方までかかっていろいろと手を加えてみた。10年近く前の小さな句集から4句、これは手を加えなかった。その後世話になった俳句結社誌に載せてもらった句は、時間の関係もあり使用していない。
 一昨年、昨年におりに触れて偶成した句をいろいろいじってみた。
 以前から句づくりの先輩から「いじり過ぎる」といわれてきたが、その癖がなおらない。もう開き直っている。時間がたてばたつほど気に入らなくなる句が、却って気になるのである。それは多分未完で、まだよくなる可能性がある、あるいは別の情景や別の思いに転換すると生きてくると句が言っていると感じてしまう。そんなに立派な心境やら句づくりの技量があるわけではないのに‥。
 逆に言うと、以前作った句が何も語ってこないのは、もう良くならない、と句自身が言っているのではないか。
 出来上がった十二句をいじくりまわしている間に、社会からの隔絶感、友人の死、自分の病いや老いの自覚が滲み出ている句ばかりになってしまった。句をつくるきっかけがこのような心境だけというのはあまりにさびしい、といえるが、思い返せば10代の末の頃から変わっていない自分がいる。

 私が理解できているかははなはだ疑問ではあるが、白川静は「(謝霊運や陶淵明の)叙景詩は、かれらがその生を託した自然との深い交感の中から生まれたものであり、自然と自我との合一の場において成立したものである。自然のなかに自己投棄される自我は、社会的には疎外された生である。叙景の文学は、その社会的孤絶の状況において、はじめて成立する‥」(初期万葉論・叙景歌の成立)と記した。古代の人々の自然感への言及を抜きにして近代に強引に当てはめれば、大いに誤りを犯すが、それでも自然描写が人間の情感と共鳴し合うことは人類史の発展過程や地域や時代を超えて共通である。さらに人一人の生と死に至る時間とも交感する。同時に社会的な疎外と緊密な連関があると思える。

 そんなことを考えながら、この十二句を再構成して並べてみた。


最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
氏の迷いはそのまま (通りがかり人)
2018-04-03 11:46:27
私もなるほどと、感じます。人の心も(自分のことも含めてですが)うつろいやすく、迷いやすく、ちょっとしたことで、別のモードに運ばれることもありますが、不変というか普遍というか、そういうものもあります。
 氏の句は記憶あるものも、いくつかあり、私個人としては、句を書き直すのは、ありだと思います。言葉ひとつにより、どこかへ持って行かれもするし、違和感だけで、通り越して行かれもする。できれば、人の心をどこかへ持っていきたいのが、醍醐味のような気もしますが、自分が自分の作品に納得いかないこともある。このいじくり回しは、しかし、飽きない時もある。やはり納得いくまで、ああでもこうでもやり尽くして、出すべし。楽しみにしてます。
返信する
私もそう思うのですが (通りがかり人)
2018-04-03 12:50:02
「思い返せば10代の末の頃から変わっていない自分がいる。」と、ありますが、幾つになっても変わりようがない自分が作る俳句が一番なのではないかと。あとは、共鳴してくれるか否かは、同じような自分に近い人がいれば、必ずや共鳴してくれると。それが理想なのではないかと、今、また、思っているわけです。
返信する
通りがかり人様 (Fs)
2018-04-03 22:47:03
いつもコメントありがとうございます。
いつも句をいじくりまわしているうちに、自分でも訳が分からなくなってしまうこともたびたびあります。情けないですね。
共感してもらえる人がいるのは嬉しいです。自分から表現しないとそれすらわからない、ということがわかりかけてきました。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。