本日は神奈川大学の公開講座の「芭蕉・『去来抄』<修行教>を読むその1」と「俳句実践講座 俳句に親しみつつ俳句を楽しむ」の共に3回目の講義。講師はいづれの講座も復本一郎氏。
前者が去来抄を手がかりに芭蕉の俳諧理論を探ることに力点を置いているので、どちらかというと理論重視の講座。本日も含めて芭蕉の不易流行の論を去来の他の著作での言及、さらには同時代の他の著作、服部土芳の赤雙紙にまで及ぶ講義が続いた。講師の豊かな知識と話術に脱帽している。不易流行の論はとりあえず今回で終了し次に進む。不易流行流行論、一応理解したつもりだが‥
後者は鬼貫の「独りごと」を丁寧に講読しながら、実作の立場からの説明がなされる。私などにはとても役に立つ。講義と参加者の句会と講師による講評と質疑が交互に行われる。本日の講義も前回の句会での句の質疑から始まるという、あくまでも実作重視である。鬼貫のこの「独りごと」、実作に使える文章となっているし、講師の話もそれに基づいている話なのでとても興味深く読み進めることが出来る。
いづれも復本一郎氏の講義の構成の仕方、話の魅力に引き寄せられる。もっと早くからこの講座に参加していれば良かったとおもう。今後も続けて行きたい講座だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/50/e0/b6c46344e28c75bf2e6c8934e4b138ca_s.jpg)
さて、「武家の古都・鎌倉世界遺産登録推進3館連携特別展」は、神奈川県立歴史博物館と鎌倉国宝館を見てきたわけだが、県立金沢文庫での展示もある。3館分まとめた6ページ仕立ての広報チラシとなっているので、金沢文庫のチラシ部分を本日掲載することにした。多分見に行けないと思うが、折角の機会なので‥。
私は世界遺産登録推進について言及する立場にはないし、この運動全体を見渡すことは出来ていない。
だが、この展示を見る限り、鎌倉という都市、政治空間を創出した武士をよりどころとした視点に終始している。はたしてこれでいいのかという疑問というか、別の視点も必要ではないかと感じている。
鎌倉という時代は時代の大きな転換期であった。武士という階層がこれまでの貴族や仏教をはじめとした鎮護国家の支配体制と肩を並べる政治的な支配力を身につけ、新しい禅宗などの仏教をよりどころとして、やがてそれを凌駕していく大きなダイナミックな流れが見えてくる。今回の展示もそこに力点を置いている。
しかし思想としての仏教の大きな流れは、禅宗もそうなのだが、国家を支える思想というよりも、個人をどのように救済するのかというところにその思想の立脚点が大きく映ったところに大きな特徴があるとどこかで聞いた気がする。法然や親鸞や一遍などの阿弥陀経の流れ、日蓮などの法華経の流れ、真言律宗などの流れ、さまざまな新しいいわゆる鎌倉仏教の興隆にも鎌倉は大きな舞台となった。そこには個々の民衆を対象とした救済の思想が大きく花開いたのである。
国家から民衆へ、文化の担い手も大きく変容を始めた時代である。これは中国においても、宋という国に代表される国家のあり方自体、文化のあり方自体が変容した時代でもある。
このような視点での世界遺産登録運動であることを願いたいものだ。鎌倉時代をもっと多角的に、日本の文化を含む社会全体の大きな変容の中での捉えなおし、歴史観の転換が必要なのではないだろうか。
前者が去来抄を手がかりに芭蕉の俳諧理論を探ることに力点を置いているので、どちらかというと理論重視の講座。本日も含めて芭蕉の不易流行の論を去来の他の著作での言及、さらには同時代の他の著作、服部土芳の赤雙紙にまで及ぶ講義が続いた。講師の豊かな知識と話術に脱帽している。不易流行の論はとりあえず今回で終了し次に進む。不易流行流行論、一応理解したつもりだが‥
後者は鬼貫の「独りごと」を丁寧に講読しながら、実作の立場からの説明がなされる。私などにはとても役に立つ。講義と参加者の句会と講師による講評と質疑が交互に行われる。本日の講義も前回の句会での句の質疑から始まるという、あくまでも実作重視である。鬼貫のこの「独りごと」、実作に使える文章となっているし、講師の話もそれに基づいている話なのでとても興味深く読み進めることが出来る。
いづれも復本一郎氏の講義の構成の仕方、話の魅力に引き寄せられる。もっと早くからこの講座に参加していれば良かったとおもう。今後も続けて行きたい講座だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5e/19/45fc5b1b3e5e50bc9c308b289b0ea070_s.jpg)
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さて、「武家の古都・鎌倉世界遺産登録推進3館連携特別展」は、神奈川県立歴史博物館と鎌倉国宝館を見てきたわけだが、県立金沢文庫での展示もある。3館分まとめた6ページ仕立ての広報チラシとなっているので、金沢文庫のチラシ部分を本日掲載することにした。多分見に行けないと思うが、折角の機会なので‥。
私は世界遺産登録推進について言及する立場にはないし、この運動全体を見渡すことは出来ていない。
だが、この展示を見る限り、鎌倉という都市、政治空間を創出した武士をよりどころとした視点に終始している。はたしてこれでいいのかという疑問というか、別の視点も必要ではないかと感じている。
鎌倉という時代は時代の大きな転換期であった。武士という階層がこれまでの貴族や仏教をはじめとした鎮護国家の支配体制と肩を並べる政治的な支配力を身につけ、新しい禅宗などの仏教をよりどころとして、やがてそれを凌駕していく大きなダイナミックな流れが見えてくる。今回の展示もそこに力点を置いている。
しかし思想としての仏教の大きな流れは、禅宗もそうなのだが、国家を支える思想というよりも、個人をどのように救済するのかというところにその思想の立脚点が大きく映ったところに大きな特徴があるとどこかで聞いた気がする。法然や親鸞や一遍などの阿弥陀経の流れ、日蓮などの法華経の流れ、真言律宗などの流れ、さまざまな新しいいわゆる鎌倉仏教の興隆にも鎌倉は大きな舞台となった。そこには個々の民衆を対象とした救済の思想が大きく花開いたのである。
国家から民衆へ、文化の担い手も大きく変容を始めた時代である。これは中国においても、宋という国に代表される国家のあり方自体、文化のあり方自体が変容した時代でもある。
このような視点での世界遺産登録運動であることを願いたいものだ。鎌倉時代をもっと多角的に、日本の文化を含む社会全体の大きな変容の中での捉えなおし、歴史観の転換が必要なのではないだろうか。