Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「聖母の美術全史」第6章から 2

2022年07月22日 22時56分38秒 | 読書

   

 夕食後、再び読書タイム。「聖母の美術全史」の第6章「東洋の聖母」の残り、第4節「何番美術の聖母」と、第5節「かくれキリシタンの聖母」を読み終わった。明日からは最後の第7章「近現代の聖母 衰退から変奏へ」を読み始める予定。

「踏絵を考案したのが誰であるのか不明だが、像を踏ませるというのは、日本的な発送である。本来キリスト教は偶像崇拝を認めず‥。布教のために聖像を積極的に用いたカトリックでも、聖像は神を見る窓であって、その中に神はいないと規定している。もし西洋で踏絵が行われたとしてもほとんど効果はなかったであろう。キリスト教に入信した日本人の多くは、神を表した像には何であれ仏像と同じような聖性を認めてしまい、それを踏むことをかたくなに拒んで命を落としたのである。」(5.かくれキリシタンの聖母)

「生月島の信徒たちは、画像の当初の主題を知ることもなく、また知ろうともせず、呪術的な力を持つその画像の前にひたすら首を垂れ続けてきたのである。当初はキリスト教的な意味を担っていたイメージが、祖先崇拝と融合し、どんな神様かわからない人物像が次第に先祖のイメージを持って祀られていったこともあったようだ。‥信徒たちには、図像の正統性や意味よりも、それが聖画として伝承されてきたという歴史が重要であったのである。その図像が父祖から伝世したという事実とその時間の厚みのみが聖性を醸成させていったといえよう。」(5.かくれキリシタンの聖母)

「2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録された。‥「潜伏キリシタン」という聞きなれない言葉は、‥解禁後、正統なキリスト教に復帰した信徒たちのことを指す。いっぽうかくれキリシタンとは、同じく信仰を守りながらも、欧米からもたらされたキリスト教に復帰することを拒み、独自の信仰を堅持した信徒のこと。両者は禁制下では同一であったが、解禁後の信者の態度によって対応が分かれた。世界遺産にはかくれキリシタンは含まれていない。平戸の生月島は‥かくれキリシタンの中心地であり、今なお多くの信者が独自の信仰を守っている。260年の間にその信仰は土着化して先祖崇拝などと結びつき、キリスト教とはいいがたい民族宗教に変容したようにみえる。こうした興味深い文化やその遺跡は、世界遺産から排除されている。かつて日本で普及したキリスト教が、‥劇的によみがえったという西洋回帰のハッピーエンドにそうものだけが選別されたのである。‥世界遺産などという制度自体が、欧米の一元的な価値観に基づく偏ったものにすぎない‥。」(5.かくれキリシタンの聖母)

 わずかに残された聖母像やその変容して残されている聖像の丹念な解析・分析をもとに、宗教の土俗化、元の教義の変容という社会学的な領域に踏み込んでいる記述には、とても惹かれた。単なる聖母像の在り方を羅列するだけの著作とは違って私の興味の方向とリンクしている。
 



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