Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

閃光の火種

2023年04月15日 17時25分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 終日雨の土曜日。最大で10ミリ程度の雨が絶え間なく降り続いている。気温も午前0時の17.7℃が本日の最高気温と表示されている。日中はそれよりも低い気温で推移していることになる。例によって1階で畳のない我が家は寒いくらいである。

 雨で気分も晴れない。一日何をするでもなく、読書も音楽も聞かず、ボーッとしているうちに夕方になってしまった。

 昼前に岸田首相に爆発物が投げられたというニュースを見たが、NHKばかりの放映で、同じ画像ばかりなので1時前にはテレビを消してしまった。事件の背景も投擲者の意図もわかるまでには時間はかかりそうである。
 しかし安倍首相の狙撃も含め、なかなか物騒な時代になって来たものである。あの安倍首相に向けて発射されたたった1発の銃がその後、宗教と政治という闇に焦点をあてたが、今回は何にスポットを当てようとしたのか、それがわからない。
 テロという閃光が一瞬、闇に強烈な光を浴びせたが、その闇は異様に深く、覗いた者をたじろがせ続けている。闇を作っていた身内は蓋をして二度と見えないように画策し、「テロ反対」をいう。吐く言葉の虚しさは底なしである。
 一方批判者は閃光に負けまいとスポットライトを用意はしている。しかし闇は蓋だけでは覆いきれず、スポットライトでは光がまだ不足している。底に届かない。

 このままでは戦後政治の闇は断念と絶望で批判者を飲み込んでしまう。テロを防ぐのはスポットライトが十分に闇を照らし出すことでしかない。蓋をしようとする傾向も排除しない限り、闇は深まるばかりである。闇の解明ができなければ、テロという閃光の火種は消えることはない。テロの撲滅は、一瞬だが照らされた深い闇の解明である。それができないならばまた別の闇が用意されてしまう。



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