

昨日講座が行われた会場のアースプラザ3階で写真展「屋須弘平-グアテマラ140年のロマン」を開催していた。
屋須弘平という人の名は初めて目にした。チラシによると屋須弘平(1846-1917)は仙台藩の蘭学医の長男として現在の一関市に生まれ、江戸で医学・天文学を学んだという。1874年の金星の太陽面通過のメキシコ観測隊の通訳を務めた後、天文学者をめざしてメキシコに渡り、後グアテマラに移住してアンティグラ市で写真術を学び写真館を開設したカメラマン。1976年のグアテマラのアンティグア市の大地震の際に写真原板数百点が発見され、写真家としての功績が明らかとなった、と記されている。
1891年グアテマラの人と結婚、洗礼名ファン・ホセ・ヘスス・ヤスとして生涯を送り、1917年にグアテマラで死去。
まず横浜の野毛山にある金星の太陽面通過の記念碑の存在に関係のある通訳をした人が仙台藩出身で、しかも天文学を志してメキシコに行ったということが私の興味を大いにそそった。
さらに天文学から写真家に転身したということにも驚き、高橋是清の要請でペルーの銀山開発にかかわったりしたという経歴もあるとのこと。
本日は時間が取れず、わずか5分で会場内を一周しただけであった。来週もう一度講座受講のためにアースプラザに行くので、その時にじっくりみたいと思う。詳しいパネル表示がある。しかし受付の人に問い合わせたが、図録やパネル表示を収録したパンフレットは無いという。次回カメラをもってそれらを撮影したいと思っている。写真撮影が可能であることを願いたいものである。しかしこれだけの展示でパンフレットがないというのはさびしいものがある。