Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨は止んだ

2021年06月16日 22時25分39秒 | 天気と自然災害

 一時は大雨・洪水警報も出たが16時過ぎに解除になり、大雨・雷注意報になっている。
 午前中の雨が上がったのち、14時過ぎからの1時間半ほどの雨もひどかった。南側のベランダに降った雨は、屋上からの雨水排水菅に流れ込むようになっているが、逆流して吸い込まなくなり、ベランダに水が上がりそうになった。幸いベランダから庭に水はあふれることはなかったが、不安にはなった。
 現在は雨は止んでいる。しかし明日の午前中は雨の予報となっており、午後から曇の予報である。

 雨が降らなければ少しだけでも夜のウォーキングをしてみたい。レインアイよこはまを見るかぎり、大丈夫らしい。


「ハムレット」読了

2021年06月16日 21時11分18秒 | 読書

 「近代絵画史(上)」(高階秀爾)の序言にあった「雀一羽落ちるのも神の摂理」(「ハムレット」)という引用箇所を見つけようと、たまたまちくま文庫版の「シェークスピア全集」(松岡和子訳)のがハムレット」が本棚にあり、ページをめくった。しかしすぐに見つからなかった。昔読んだとき、どの場面だったか覚えておらず、初めから読み始めた。中学生と高校生の時に読んだときもこのセリフは頭に残らなかった。
 訳も進化しているということだが、やはりシェークスピアなのであろう、一気に引き込まれてしまった。本当なら二日もかからずに読み終えるのであろうが、退職者会の仕事やら、頭の疲労(?)もあり、どちらかというとのんびり読み進め、本日読み終えた。

 「雀一羽‥」は最後の第5幕第2場、ハムレットが王の前でのレアティーズとの試合に臨む直前の場面である。ホレイショ―と会話の場面である。ホレイショ―が「気が進まないならば‥」と試合に臨むのを止めるのを振り切る場面である。

「前兆なんか気にしてはいられない。雀一羽落ちるにも天の摂理が働いている。いま来るなら、あとには来ない。あとで来ないなら、いま来るだろう。いま来なくとも、いずれは来る。覚悟がすべてだ。生き残した人生のことなど誰に何が分かる。だったら、早めに死んでもおなしことだ。放っておけ。」
 このセリフの直後に王などが登場して、最後の場面になる。
 その他、心に残ったハムレットのセリフをいくつか。

「俺は胡桃の殻に閉じ込められても、無限の宇宙を支配する王者だと思っていられる。-悪い夢さえ見なければ。(ギルデスターンの「夢こそが大望です。野心の本質は夢の影に過ぎませんから」を受けて)‥夢のそのものが影にすぎない。」 (第二幕第二場)

「生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ。‥やみくもな運命の矢弾を心の内でひたすら耐え忍ぶか、艱難の海に刃を向け、それにとどめを刺すか。‥死ぬ、眠る。眠ればきっと夢を見る――そう、厄介なのはそこだ。人生のしがらみを降り捨てても死という眠りの中でどんな夢を見るか分からない。だから二の足を踏まずにいられない。――それを考えるから辛い人生を長引かせてしまう。」(第三幕第一場)
 これはあまりに有名な箇所。中学生のころには全体の意味がよくわからなかった

「動きを言葉に合わせ、言葉を動きに合わせる。‥自然の節度を超えないことだ。何であれやりすぎれば、芝居の目的からはずれるからな。芝居がめざすのは、昔も今も、いわば自然に向かって鏡をかかげ、美徳にも不徳にもそれぞれのありのままの姿を示し、時代の実体をくっきりと映し出すことだ。」(第三幕第二場) 
 これは間違いなくシェークスピアの演劇論の一端である。

「持ち時間の主な使い道が食って寝るだけだとしたら人間とは一体なんだ?‥創り主は我々にこんなにも大きな思考力を授けられ、過去と未来に目を向けるようにされた。その能力と神のごとき理性を持ち腐れにしていいはずがない。‥思考というやつ、四分の一だけが知恵で、四分の三は臆病――どういうことだ。「これだけはきっとやる」などと言いながら、なぜおめおめと生きている。」(第四幕第四場)
 このセリフは強迫観念の様に20代前半の私をさいなんだセリフでもある。


小林亜星と天満敦子

2021年06月16日 13時02分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 小林亜星氏が亡くなったとのことである。テレビなどでは歌謡曲、俳優という枠組みでの紹介記事が出ているが、私はそちらはほぼ無知に等しい。

   

 私などには、ルーマニアの作曲家のポルムベスクが作った「哀歌」「ベルタのノクターン」の編曲者として記憶に残っている。この編曲は天満敦子のために書かれ、彼女にによって初演された。
 同じポルムベスクの「望郷のバラード」と、モンティの「チャルダーシュ」は天満敦子のコンサートで必ずプログラムに入る。
 久しぶりに天満敦子の「哀歌 ベルタのノクターン」の1995年の日本初演のCDを聞いている。なお、この両曲のYoutubeは見つからなかったが、「望郷のバラード」は以下のとおり。
                           【⇒望郷のバラード 天満敦子


雷と大雨注意報

2021年06月16日 10時33分00秒 | 天気と自然災害

  日付が代わったころから雷が盛んに鳴り始めた。横浜の青葉区、緑区、瀬谷区あたりに80mm以上の雨の区域がしばらく留まっていた。
 布団の中で、雷の音を聞いていると寝るのを忘れてしまう。恐怖ではなく、次にどの程度の雷鳴が聞こえるのか、探るように耳をそばだてていた。悪くいえば、雷の音を楽しんでいた。
 結局雷も近くにはならず、雨も強くならず、いつの間にか気持ちよく寝ていた。
 3時半ころにいったん目が覚めたときは、雨の音も雷も聞こえなかった。



 つい先ほどから突然のように強い雨が降り始めた。郵便局に出かける寸前に雨の音が始まり、傘も役に立たないほどの雨である。出かけなくて助かった。
 時間雨量で80mmの雨である。雷も遠くで鳴り始めた。昨晩はほとんど停滞しつつも北西から南東に流れていた雨の区域は現在もあまり動かずに南東から北東方向に移動している。ほぼ180度方向が変わった。
 1時間ほどで強い雨の区域は縮小したが、雨の区域自体は縮小せずにかえって広がっている。

 大雨・雷注意報は解除されていない。本日はこのような雨が繰り返されるようだ。

 雨が小降りになるとすぐさまカラスが人を威嚇するように鳴き始めた。かなり神経質になっている。