Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は晴れ

2021年06月06日 22時41分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は晴れて湿度も低い予報になっているが、明け方にかけて雨が降る可能性があるらしい。雨が降り始める前に、いつものように20分ほどの夜のウォーキングを済ませたい。
 明日は特に予定はないが、印刷会社から1日に送信した退職者会ニュースの最初の校正刷りが届く予定である。
 1日に送信したが、受信した旨の返信が届いていなかった。朝のうちに確認のメールを送信して見ることにした。担当にわたっていなかったら奏品に間に合わなくなると困る。杞憂というともっともらしいが、歳を取って心配性になっているのだろうか。


「異形のものたち」から

2021年06月06日 22時21分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 「異形のものたち 絵画の中の「怪」を読む」(中野京子、NHK出版新書)で取り上げてある絵画作品で一番私の心に残ったのは、ドイツの画家、カスバ―・フリードリヒ(1774-1840)の「ブナの森の修道院」。聖書の物語や神話に基づいた1700年代までの作品に比べると、やはり19世紀ともなると、象徴的な風景画などが、現代に通じているようだ。フリードリヒの作品は「雲海の上の旅人」(1818)と「氷の海」(1823-24)しか知らず、この作品がフリードリヒが世に認められた最初の作品ということになっている。カスバ―・ダーヴィド・フリードリヒはドイツの強烈な愛国思想家であったらしいが、その思想は別にして作品には惹かれる。なお、ネット上のウィキべディアでは「ブナの木の‥」ではなく「樫の木の‥」となっており、どちらが正しいのかは私にはわからない。
 この作品、現実の風景であるらしいが、画家の心象風景に沿って大きく変換されていると思える。解説では次のように述べている。
「細く白い三日月が空に浮く。葉をすべて落とした裸形のブナの木々は、ねじくれた無数の腕を揺らしながら低い呻き声をもらす。石造りの巨大な修道院の一部だけが、本体から引き剥がされて立ちつくす。中央のステンドグラスはとうに壊れて跡形もない。飾り枠も風雪に耐えきれず折れ曲がり、ところどころ欠けている。画面前景、暗闇にいくつもの墓標(小さな三角屋根付き十字架)が散らばる。新たに土も掘り返され、黒い修道僧たちがうごめいている。埋葬を終えたところらしい。とはいえ、彼ら自身も生者であろうはずがない。‥この建物は、フリードリヒの生まれ故郷にあったエルデナ修道院だ。‥その遺跡を彼は別の、もっと荒涼とした、もっと幻想的でゴシック・ロマン的な風景の中へと移し替えた。‥色のない世界に孤独で荒廃した身をさらす修道院は、フリードリヒ自身の傷ついた姿そのもの‥。」
と記している。
 少し過剰な思い入れもある記述だが、「死」がにおい、そして画家の心象を自由に想像させていることには異論はない。私は、背景の白夜を思わす鈍い光が、過去と現在の作者を行き来させるトンネルの出入口の象徴に思える。このトンネルを行き来する頻度が高くなると、精神のバランスを危うくさせる。記述のように黒い人影は幻想の死者である可能性は高い。


雲は秋だが、湿度が‥

2021年06月06日 19時44分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 午前中の団地の会議は雨がほぼ上がった頃に終了。
 正午少し過ぎたころには雨がすっかりあがり、16辞には晴れ間が多くなって日が照ってきた。ウォーキングに出かけると、雲量は6割くらい。
 湿度が低ければ、秋晴れの空の雲のようでもあった。残念ながら湿度は70%と高く、いつものコースをゆっくり歩いたけれどもかなりの汗をかいた。

 夕方になるに従い、雲の切れ目は少なくなり、厚い雲がいつの間にか、全天を覆ってしまった。明け方には所により雨が降るとの予報になっている。

 ウォーキングの途中の大きな公園で一服&20分ほどの読書タイム。樹木から離れたベンチに座ったが、2か所ほど蚊にくわれてしまった。
 蚊はCOVID-19を媒介しないので、心配する必要はないのだが、しかしくわれたときの痒さは避けたい。