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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨と風が強まってきた

2015年02月22日 23時41分52秒 | 天気と自然災害
 現在はベランダから風の音が聞こえている。干してある雑巾が大きく揺れている。ベランダの植木鉢を倒れないように隅っこに移してきた。
 排水溝からはこの時期には珍しく団地の建物の屋根に降った雨が音をたてて流れてきている。気温は生暖かいというほどではないが、冷たくはない南風のようだ。
 この風雨は明日の午前中は続くとの予想。気温も13℃が続き、明日の昼過ぎには17℃にも上昇するらしい。
 この風雨が始まる前に帰宅して助かった。当初の予報では夕方からは雨は降らないということであったが外れた。私は20時過ぎに雨が小降りになった時に駅から団地まで歩いた。その後雨が強くなってきた。

雨と風が強まってきた

2015年02月22日 23時41分52秒 | 天気と自然災害
 現在はベランダから風の音が聞こえている。干してある雑巾が大きく揺れている。ベランダの植木鉢を倒れないように隅っこに移してきた。
 排水溝からはこの時期には珍しく団地の建物の屋根に降った雨が音をたてて流れてきている。気温は生暖かいというほどではないが、冷たくはない南風のようだ。
 この風雨は明日の午前中は続くとの予想。気温も13℃が続き、明日の昼過ぎには17℃にも上昇するらしい。
 この風雨が始まる前に帰宅して助かった。当初の予報では夕方からは雨は降らないということであったが外れた。私は20時過ぎに雨が小降りになった時に駅から団地まで歩いた。その後雨が強くなってきた。

そごう美術館「円空・木喰」展(補足)

2015年02月22日 22時43分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日アップした記事で書き漏らしたことがあった。図録を購入していないので作品名は忘れてしまって思い出さないが、円空の作品で衝撃的なものがあった。
 円空の作品でそれほど大きいものではなかったが、仏像の顔半分か鮮やかな切り口で切り落とされているものがあった。初めは風化によって剥離してしまったのかと想像したが、貼り出してあって解説には「明治時代の廃仏毀釈で削り取られた」旨のことが記されてあった。
 このような小さな仏像にまであの廃仏毀釈の蛮行が及んでいたということに私なりにあらためて驚いた。初期明治政府の暗黙の了解があったとも言われているが、150年前の日本の近代化の出だしで、このようなことが行われたことはもっと具体的に明らかにすべきなのかもしれない。
 高校の日本史の教科書でもほんのひとこと触れられているだけだが、それこそ触れては無いない事として見過ごされた来たように思う。この歳になって私がこれから研究することも適わないが、このような負の歴史はキチンと具体的に明らかにされ、再びこのような蛮行が行われないようにすることが必要であろう。
 円空仏という、ある意味では大きな寺社による権威としての宗教とは違うところで、もっとも民衆に近いところに位置する信仰を担ってきたものに対する蛮行。おそらく明治維新ということを支えた人びとの心の奥底に存在した「力」に対する過信をキチンと捉え返さないといけないのではないか。
 このことを踏まえないと明治という時代の評価も定まらないと私には思える。

 今の日本に住む人々は、イスラムの世界に蔓延する原理主義の運動体が他の宗教に対する寛容を失っていることに対して批判的である。しかし、私たち自身が近代国家の出発点として評価している明治維新という事態の裏に、同じような蛮行があったということを踏まえないで他人を批判することは、自らの負の歴史を隠ぺいしてしまうのではないか。そうして今度は再び自らの異質なものに対してとんでもない抑圧を再び繰り返してしまうのではないか。
 現に現在、人質事件を契機に日本にいるイスラム教の人々への誹謗中傷、攻撃が繰り返されていると盛んに報道され、指摘されている。
 戦争の影か大きく圧し掛かって来ていると思うのは、このような蛮行が繰り返されることからも感じ取ってしまうのだ。

「古代エジプト-ファラオと民の歴史」展に出かけた

2015年02月22日 13時41分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨日の16時近くになって会場についた。入館料は大人一人300円。会場には東海大学の該当教室の学生が案内担当として待機していた。今回は閉館時間までは1時間しかないので、見ることに専念したくて声をかけられたがお断りさせてもらった。
 展示室の入り口に人工衛星からの画像を使った遺跡の分布などの紹介ビデオがある。わかりやすいといえばわかりやすいが、高度を低くして視点を移動していく技法は残念ながら私などは眩暈がして船酔い状態になる。奇を衒いすぎている。
 死後の復活・再生を願う信仰に基づいた死者の埋葬に添えられた調度品から展示が始まる。
 事前にいろいろ知っていると展示品を見る目も、また展示品に添えらたれ解説ももっと理解できるのであろうが、それほどの知識はない。
 今回の展示で印象に残ったのは、まずは「ホルス神の眼を捧持するヒヒ」。ヒヒが神と人間の媒介をする動物として扱われたということは知らなかった。しかし手にしているものが「ホルス神の眼」とは思えなかったので、これはもう少し具体的な図像解説が欲しかった。
 次に西アジアから伝来したというガラスの技法に基づいた調度品。ガラス技法が西アジアから東西に伝わったことが理解でき、なかなか興味深かった。この技法を駆使する前段にさまざまな技法が使われたことのわかる展示品もあった。
 もうひとつ惹かれたのは石製のコップ。中国で云えば玉器のような質の石製のコップの淡い輝きが印象に残った。
 意外だと思ったのは農具。鍬など土を掘り起こす青銅製の金属器が展示されていた。柄は木製だったと思われ失われているが、その土を掘り起こす部分の幅の狭いことに驚いた。巾は20センチも無いように見えた。この巾では土を掘り起こしたり、畝をつくったり、苗の周りに土をかき寄せるには効率があまりに悪いと思われる。エジプトの畑の土の特質に合わせたものなのか、あるいは別の用途のものなのか、これは疑問として残った。
 鍋敷きなどに使われたと思われるような太い糸による織物もあったが、用途ははっきりしないようである。
 「ビールをつくったと思われる」土器が展示されている。そこの尖った形態で、縄文土器の底の尖った容器とそっくりである。ビールかどうかは別として澱を底に貯めるための形状とすれば、縄文土器のあの容器は醸造のための容器であったかもしれない。確かにあの形状は保管には不便である。常に灰の中に差し込んで煮炊きに使うのも不自然ではないかと常々思っている。保管には不便でも醸造用にやむを得ない形状とすれば、使い方に納得はできる。

 ナポレオンの発議による「エジプト誌」の大きな本をはじめて目にした。ナポレオンの「すべてを手に入れたい」という欲求に基づく事業なのかもしれない。しかしエジプトを記録し尽くそうというエネルギーには、ナポレオンの事績の評価とは別にしても圧倒された。

 3階展示室で17時まであと3分という時刻になってしまい、慌てて2階の展示室に行ったが時間切れ。ローマ、キリスト教、イスラム教などの影響を受けた時代の展示はほとんど見ることが出来なかった。
 1階の展示室では人工衛星からの画像に基づく遺跡の「推考」ということの展示を時間が過ぎていたが見たものの、具体的な画像解析などについての展示ではなかった。

 図録は1600円、見た目の出来は良かったと思うが購入はしなかった。会期末までにはもう一度訪れたい。