Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

忘れ物

2014年05月03日 23時31分51秒 | 山行・旅行・散策
 夜になって風が強くなってきた。昨日はだいぶ日に焼けた。歩いたことによる疲労よりも、長時間日に当たったことによる疲れの方が大きいような気もする。
 ということで、本日は休養。といっても昨日の経過をアップするのに朝から13時過ぎまでかかってしまった。
 15時過ぎになってようやく外に出て見る気になって、横浜駅まで地下鉄を利用してみた。普段なら歩く距離だが、何となく地下鉄の改札口をフラフラと通ってしまった。 実は昨日、ウォーキングの最後のところで腕時計のバンドが外れてしまったので、本日修理してもらおうと思っていた。出かけるまではベストのポケットに確かに入れていたのだが、店についてポケットを探ったが、肝心のバンドの壊れた時計が出てこない。肩掛けの鞄の中身をすべて出したり、服のすべてのポケットを探したが出てこない。店員に声を掛ける寸前に気付いたから良かったが、慌てて家に戻り家の中を探したがやはり見つからない。
 散々家の中を探して、諦めかけたころになって妻の化粧台の上に無造作に放り出している腕時計を見つけた。どうやらベストのポケットにしまった後、無意識に取り出したようだ。
 横浜駅に出かけたにも関わらず、まったくの無駄足となってしまった。しかも帰途は歩くつもりだったのだが、つい地下鉄に乗ってしまった。何とも情けない一日であった。
 明日こそはこんな失敗をしないようにしたいものである。

 歳をとると、だんだんとこのようなことが多くなってくるはずだと、先輩に言われてきた。残念ながら身につまされる年齢となってきた。




人気ブログランキングへ

箱根旧街道を三島へ

2014年05月03日 13時35分40秒 | 山行・旅行・散策
 小田原駅東口からのバスで箱根町で下車して歩きはじめる計画を立てた。連休中ということで混雑と渋滞を心配した。バスの乗客は少ないが渋滞で箱根湯本駅まではノロノロ。結局箱根町には30分近く遅れて11時過ぎに到着した。



 歩き始めて箱根旧街道の起点である「芦川入口」を探したが、これがなかなか分かりにくい。登山地図を見ながら恐る恐る歩いてようやく駒形神社の先に入口の標識を見つけたが、外輪山のハイキング道と重なっていて戸惑った。

   

 芦川の石仏群から先が石だたみの復元路になっている。これがかなり急である。登り切って1号線とぶつかったところの直ぐ右手に道の駅があり、一休憩。
 ここから箱根峠までがまたわかりづらいし、とても危険。歩道のない一号線を車に怯えながら案内標識もないところを、車用の「三島」方面の標識をたよりに歩いたが、スピードを出して行きかう車がとても怖い。ここを歩道もなく、案内標識も信号もなく横断歩道もないところも横断するというのは「ハイキング」道としていかがなものであろうか。
 箱根峠の茶屋を見つけて旧道入口を教えてもらったときはほっとした。この茶屋付近がハイキング用の出発点になるようだ。





 箱根峠から旧街道に入るとすぐに笹がかぶさる気持ちのいい道が続く。道沿いにはヤマザクラ・ボケ・ツバキ・スイセン・イバラなども咲いていて、標高の高いことを実感する。兜石という大きな案内板があるが、実際の兜石は接待茶屋跡の先にある。



 1970年ころまで茶屋として存在していた「接待茶屋」についたのが歩き始めて1時間を超えていた。

     

 道に迷わず、車に怯えなければ40分もかからないところである。ここは日陰で小さな虫が飛び回っていてお昼の休憩には不向き。歩いて5分のところに「施行平」がある。ここが開けて三島市内と富士山の眺望のよいところである。残念ながら天気は晴れていいのだが、富士山のところだけは雲が厚くかかってまったく富士山は見えない。
 昼食は小田原駅で購入した「牛ごぼうめし」と「梅じゃこめし」ともに670円。どちらにも柴漬けひょうたんが入っていた。妻も私も生まれて初めて「ひょうたん」を食べた。歯触りはとてもいい。柴漬けの味が強めでひょうたんそのものの味はわからなかったが、日持ちさせる弁当としてはやむを得ないところか。こんどは浅漬けか糠漬けでひょうたんの味を味わってみたいと思った。
 出発してすぐに兜石を過ぎた。



 掲げたウォーキング用の地図の沿道は標識も多数建っている。石だたみの道は江戸時代初め1680年頃に整備されたようだが、幅2間(約3.6メートル)で山道としては広く感ずる。ただし表面のつるつるした石のため濡れているようなときは滑りやすい。


      

 山中城跡はかなり広い敷地で、城の規模が大きかったことがわかる。北条氏の対秀吉戦の前哨戦であったがあっさりと見捨てられた形の開城だったようだ。北条氏の戦略の甘さが露呈した悲劇なのであろう。ここも富士山の眺望がいいところだが、やはり富士山は雲隠れ中。本丸跡に大きな藤と藤棚があり、まだ固い花房がたわわにぶら下がっていた。咲いたら見事であろう。
 駐車場わきに茶屋があり、寒ざらし団子に妻はご満悦。



 このような標識がたくさんあり、ありがたかった。



 富士見平というところに巨大な芭蕉碑が建っている。「霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き」。しかし晴れて日差しが強いにもかかわらず、そこだけ雲が厚いのは寂しいというか、面白くない。全体に大きくかすんでいて三島市内も見にくかった。

 

 三島宿に向かってひたすら下る道なのだが、中山城跡を過ぎると急角度での下り坂が一直線に作られている。勾配がきつく、歩いていると太ももに力がかかる。歩きなれていないとかなりキツイ。江戸時代、逆コースで江戸に向かう旅人にはかなりつらかったのではないだろうか。小田原から箱根の芦ノ湖までの登りの傾斜よりも急な気がした。長坂・こわめ坂・時雨坂・題目坂・臼ころび坂・愛宕坂など名称がそのことを物語っているようだ。

 「箱根路」と掘られた巨大石碑を過ぎると松林の古い街道の面影が再現されている。東海道線の踏切を渡ると今井坂を超えて三島市の住宅街に入る。



 市内の繁華街の手前で大場川を渡る。この新町橋が富士山の眺望地点とのことであったが、ここでもやはり富士山は隠れている。とうとう一日中私どもの前から姿を隠してしまった。すっかり嫌われたようである。手前の愛鷹山はとてもいい眺めであったが‥。

                     

 三島大社にいたり、境内で休憩をとらせてもらった。といってもベンチもないし、16時半過ぎていたのでもう休憩所なども店をたたんでいる最中の時間。このお餅が手に入らなかったのは妻には不満であったようだ。藤棚や天然記念物という巨大な金木犀、神馬堂を見た後本殿前を通って商店街へ。
 三島では鰻、という定番から逃れられないような気分で、鰻屋へ。
 500円の生シラスをツマミに生ビールにありついて一息ついた後、2700円の鰻重を注文した。
 帰りは三島駅経由で。ブログに投稿しつつも、小田原駅を過ぎると横浜駅まですっかり寝てしまった。





人気ブログランキングへ