Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ピアノソナタ第3番(ブラームス)

2014年05月09日 23時28分20秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨晩に引き続きブラームスのピアノソナタ第3番を聞いてみた。演奏はこれもペーター・レーゼルのピアノソロ全集の第3巻から。

 同じく和田真由子という方の解説がネットで出ていた。

「5楽章からなる。その第2楽章と第4楽章は、他楽章よりも前に完成しているが、全体は、1853年秋から冬にかけて、シューマンの住むデュッセルドルフでかきあげられた。しかし、ブラームスは満足せず、その後も改定を加え、なかでも、終楽章には大きな変更を加えた。
 作品1と作品2のソナタよりも大きな規模をもっており、ブラームスはこの作品5でピアノ・ソナタの終着駅にたどりついたと考えたようである。全体は、第1楽章を基本的なモットーにして統一されている。
 この第2楽章の最初に詩人シュテルナウの「若き恋」という詩の一節を標題として掲げている。大意は次のとおりである。
・黄昏はせまり、月は光り輝く/ そこに二つの心が、愛で結ばれて/互いによりそい、抱き合う
 この第2楽章は、独立して演奏されることもあった。」

 私は、第2楽章に特に惹かれた。高音部の旋律が浮き出てくる処理が印象的である。「若き恋」という詩の一節の「月は光輝く」のイメージが私には似つかわしい旋律と和音を伴って頭の中に入ってくる。


 残りの曲は明日に聞く予定。
 



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明日の講座

2014年05月09日 20時32分55秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はかなりひどい雷雨となり、北関東では落雷による停電もあり、雹も降ったようだ。横浜ではそのようなこともなく、一時的に強い風が吹いていたが、全体的には平穏だった。
 このように「局地的に極端に違う天候というのはこれまでもあったのであろうか」という疑問が云われている。確かにあまり例はなかったかもしれない。しかし「そのとおり」と断定してしまっていいのかというとまた首を傾げてみたくなる。
 昔はそれほど精度は高くなかったし、局地的な変異は重視されずに報道もされず、見過ごされてきたこともあると思っている。そのような点も考慮した比較がされないと、最近の気象の傾向として断定してしまうことは避けないといけないと思っている

 さて、これまでは土曜日の講座は避けてきたが、今回はいくつか申し込んだ。申し込んだひとつの講座は日曜日にも行われる。聞きたいものは聞きたい、という欲求は捨てられなかった。毎日が日曜日の現役引退組には平日も週末も区別ないのだから特に支障はない。しかしだらだらとけじめなく毎日が続くのは良くないので、講座の無い日を設けた方が良かったのか、という反省は今になってしている。

   

 「日本を読む」は5回の講座の内4回を申し込んだ。各回講師が違うので、1回づつ申し込める。第1回の明日は「社会変革の日本的病理」という題。ちょっと内容は想像がつかない不思議な題に思える。講師は大澤真幸氏。申し訳ないが初めてお聞きする方である。講座の第2回目が他の講座と重なっていて断念。第3回から第5回までは参加できる。
 もう一つの「西洋美術基礎講座」は通常1時間30分の講座が、2時間のコースなので若干高価である。美術館の展覧会の感想をブログで記載しているにもかかわらず、基本的なことがわかっていないので、少しは基礎から勉強しなくてはいけない。講師の三沢恵子氏、この方も私は初めてである。



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「歴史の中の大地動乱」(保立道久)

2014年05月09日 03時47分45秒 | 読書


 随分と時間がかかってしまったが、「歴史の中の大地動乱」(保立道久、岩波新書)を読み終わった。

 8世紀・9世紀の地震・火山の歴史から、日本の古代史の政治を見直してみようという論考である。無論その契機は2011年3月11日の東北大震災である。
 当時大和朝廷は東北の地の蝦夷討伐、陸奥・出羽への進出・経営という時代であった。この蝦夷征服という国家を上げての「大事業」であったわけだが、同時に地震・火山噴火という列島全体を揺るがす大災害が頻発した時代でもあり、それが中央の政局に大きく影響していたとことを解き明かそうという著作である。

 平安時代というと私たちの学んだ歴史教育では、中央の政争に明け暮れる貴族の動向だけに絞られた政治史を学んだだけであるが、実際は災害に苦悩する地方-中央の民衆の動向と不可分の政治動向があったはずである。そしてこの時代、旱魃・飢饉・疫病だけでなく地震・火山噴火などの自然災害というのはとてつもない大きな政治課題であったことをあらためて認識させてもらった。

 特に9世紀後半には、
864年富士山噴火、867年豊後鶴見岳・阿蘇山噴火、868年京都群発地震・播磨国地震、869年貞観大地震(陸奥三陸海岸大地震と大津波)、871年出羽鳥海山噴火、874年薩摩開聞岳噴火、878年南関東地震、880年出雲地震・京都群発地震、885年薩摩開聞岳再噴火、886年伊豆新島噴火、887年南海・東海連動地震、915年十和田湖大噴火という大災害が頻発している。現代でもこれだけの災害が頻発したらとてもではないが、国家は破たんする。
 これに続く地震多発の年代は1700年代だが、この時は延べ100年に分散する。

 そしてこの当時の御霊信仰、怨霊・たたり神などについて少し長くなるが以下引用しておこう。

 関口裕子の仕事は、「怨霊」や「妖言」などのおどろおどろしい資料の中に、8・9世紀の旱魃・疫病・飢饉の中で苦闘する民衆の心性を透視したものとして、現在でもかけがえのない意味をもっている。民衆が政争の敗北者に一定の共感をもったことの理由を、この時代、支配層と民衆との間に存在した、ある種の幻想的な国家共同体イデオロギーに求めたことであろう。関口は、この幻想的な国家意識が民衆にとっての抵抗思想、御霊信仰に転形したというのである。これは日本の歴史上はじめての国家に対抗する自律的な民衆の論理の成立であって、これによって神話の時代は最終的に終わりをつげた‥。
 北原糸子は、災害は「その時々の社会の深部がみえてくる」場となるとしているが、この時代の激しい地震・噴火・災害を経験した人々も、怨霊を通じて「社会の深部」を見すえたに違いない。ヨーロッパにおいてもしばしば災害を契機として「千年王国」などの終末観にもとづく宗教運動がおきたように、これ以降、末法思想が日本独特の深化をとげるのも、この経験と無縁であったとは思えない。
  (この大地動乱を経て以降)大きな犠牲をはらいながら前進した民衆社会の支えによって、大地動乱と災害の時代が乗り越えられたからである。この中で、民衆社会が山野河海の利用や灌漑農法の発展によって獲得したアジール=無縁の世界は、より文明化した国家の公的な支配の下に吸収され再編成されていく。網野義彦の言を借りれば、ここに「「有主」の世界から、「原無縁」を最初に組織し、その後「無縁」の世界の期待を体現し続けてきた王権」、本源的共同体を倒錯的に代表する王権、日本天皇制の長くつづく歴史的姿態が現れてきたのである。


 この書は歴史学者から見た地震の話であるが、地震学の立場からの「大地動乱の時代-地震学者は警告する-」(石橋克彦、岩波新書)も目をとおしたいと考えている。




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