随分と時間がかかってしまったが、「歴史の中の大地動乱」(保立道久、岩波新書)を読み終わった。
8世紀・9世紀の地震・火山の歴史から、日本の古代史の政治を見直してみようという論考である。無論その契機は2011年3月11日の東北大震災である。
当時大和朝廷は東北の地の蝦夷討伐、陸奥・出羽への進出・経営という時代であった。この蝦夷征服という国家を上げての「大事業」であったわけだが、同時に地震・火山噴火という列島全体を揺るがす大災害が頻発した時代でもあり、それが中央の政局に大きく影響していたとことを解き明かそうという著作である。
平安時代というと私たちの学んだ歴史教育では、中央の政争に明け暮れる貴族の動向だけに絞られた政治史を学んだだけであるが、実際は災害に苦悩する地方-中央の民衆の動向と不可分の政治動向があったはずである。そしてこの時代、旱魃・飢饉・疫病だけでなく地震・火山噴火などの自然災害というのはとてつもない大きな政治課題であったことをあらためて認識させてもらった。
特に9世紀後半には、
864年富士山噴火、867年豊後鶴見岳・阿蘇山噴火、868年京都群発地震・播磨国地震、869年貞観大地震(陸奥三陸海岸大地震と大津波)、871年出羽鳥海山噴火、874年薩摩開聞岳噴火、878年南関東地震、880年出雲地震・京都群発地震、885年薩摩開聞岳再噴火、886年伊豆新島噴火、887年南海・東海連動地震、915年十和田湖大噴火という大災害が頻発している。現代でもこれだけの災害が頻発したらとてもではないが、国家は破たんする。
これに続く地震多発の年代は1700年代だが、この時は延べ100年に分散する。
そしてこの当時の御霊信仰、怨霊・たたり神などについて少し長くなるが以下引用しておこう。
関口裕子の仕事は、「怨霊」や「妖言」などのおどろおどろしい資料の中に、8・9世紀の旱魃・疫病・飢饉の中で苦闘する民衆の心性を透視したものとして、現在でもかけがえのない意味をもっている。民衆が政争の敗北者に一定の共感をもったことの理由を、この時代、支配層と民衆との間に存在した、ある種の幻想的な国家共同体イデオロギーに求めたことであろう。関口は、この幻想的な国家意識が民衆にとっての抵抗思想、御霊信仰に転形したというのである。これは日本の歴史上はじめての国家に対抗する自律的な民衆の論理の成立であって、これによって神話の時代は最終的に終わりをつげた‥。
北原糸子は、災害は「その時々の社会の深部がみえてくる」場となるとしているが、この時代の激しい地震・噴火・災害を経験した人々も、怨霊を通じて「社会の深部」を見すえたに違いない。ヨーロッパにおいてもしばしば災害を契機として「千年王国」などの終末観にもとづく宗教運動がおきたように、これ以降、末法思想が日本独特の深化をとげるのも、この経験と無縁であったとは思えない。
(この大地動乱を経て以降)大きな犠牲をはらいながら前進した民衆社会の支えによって、大地動乱と災害の時代が乗り越えられたからである。この中で、民衆社会が山野河海の利用や灌漑農法の発展によって獲得したアジール=無縁の世界は、より文明化した国家の公的な支配の下に吸収され再編成されていく。網野義彦の言を借りれば、ここに「「有主」の世界から、「原無縁」を最初に組織し、その後「無縁」の世界の期待を体現し続けてきた王権」、本源的共同体を倒錯的に代表する王権、日本天皇制の長くつづく歴史的姿態が現れてきたのである。
この書は歴史学者から見た地震の話であるが、地震学の立場からの「大地動乱の時代-地震学者は警告する-」(石橋克彦、岩波新書)も目をとおしたいと考えている。
人気ブログランキングへ