Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

香月泰男のシベリア・シリーズ(4)

2010年07月19日 11時32分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ホロンバイル(1960)
 「ホロンバイルの草原で風化してゆき動物達の風化した骨を見た。戦争にしろ、他の原因にしろ、ここで死ぬようなことがあれば、私の屍は草原にこのように遺棄され、白骨化するに違いないとしばしば思ったものである。」

 この絵もホロンバイルという地名から、敗戦前の「日本軍」としての経験の時間の中に入る。香月泰男は日本に生まれ、ひたすら絵を描き続けてきた人間である。年表を見る限り社会的な運動にも、政治的な運動にもかかわったことのない、美術教師である。
 そのような人々にとって、政治的な死も行動理念の結果としての死も、覚悟の外である。列島のどこにでもあるような、樹木の繁茂したなだらかな山々や里や平野の緑豊かな「自然」にかこまれ、そこの習俗にしたがって埋葬されるみずからの生死を、深刻な思弁の果てではなく、ごく当たり前に死への移行を暗黙のうちに想定していた人間と思われる。
 その人間が、中国の北方の極寒の厳しい自然とそこで生物が死を迎えることの日常を、過酷で無残で受け入れがたく、衝撃的に眼にしたと思われる。
 それがそこに住む人々にとって、生物にとって当然であっても、これは衝撃である。人間と自然の関係が根底から違うという体験であろう。
 日本軍という過酷な集団経験の中で、死が目の前にぶら下がっているような状況でも、周囲の過酷な自然の中の死はまた、特別なものであったのだろう。
 侵略国家の最末端の部隊の最下級の兵士としては、駐屯するのみで、まさしく邪魔者・迷惑なものであったはずだ。そしてその自然や現地の人々の営みに対して、溶け込むこともできなかったはずだ。ただひたすら画家の目で見つめる、孤独な眼が、死を見つめる眼がある。

 さてこの「ホロンバイル」は、敗戦差し迫った1944(S19)年11月の「文部省戦時特別美術展」に展示されている。むろん作者の言葉などはないが。
 どだい、国家意志によって美術を含む芸術を、人々の口をふさぐことなどできないのだ。苦労して戦地より1年近くかけて家族の手に届いた絵画、しかもキャンパスではないものに描いた絵が、官憲の眼を逃れて堂々と無鑑査で展示される。

 私は香月泰男の絵は、俳句的な要素があるように思う。主題をひとつに絞り込むように、絵の題材を絞り込み、徹底的に自分の意識の中で相対化し、そぎ落とし、残ったものをポンと読者、鑑賞者の前に呈示する。
 技巧は微かである。わずか17文字の配列と一字一字の字句の選択であるように、色彩もタッチも、形も簡略化され削ぎ落とされていて、そして実に雄弁である。
 俳句が写生ではなく、絵が俳句的というのも逆説的ではあるが、モノクロームの優れた写真や山水画が豊かな色彩を暗示するように、香月泰男の絵も、実際に使われた色彩は少ないが、豊かな色彩と情景を暗示し、俳句的である。