Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

香月泰男のシベリア・シリーズ(5)

2010年07月21日 19時00分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 別(1967)

 いつものとおり作者の言葉から。「入隊3ヵ月後、満州に向け下関から出発した。僅かな肉親が送るその首途が、4年余にわたる戦争、抑留への道に繋がっていた。実際には日の丸一本振られたわけではない。しかし個人の意志が、国家体制によって無視されるその船出には、眼に見えぬ「黒い日の丸」が振られていたと言えよう。」

 この重い言葉を私たちは戦後65年、どのように反芻してきたのだろうか。戦争が政治の延長である限り、強権的な国家の廃絶をも見据えた政治思想が、繰り返し繰り返し人の口の端にのぼらねばならなかったのではないか。戦後も今も、国家により人々の抑圧と戦争は廃絶されない。戦後問われなければならなかったのは、アメリカ軍は解放者か否か、民主主義か独裁か、ではなくさらに自由主義か社会主義かでもなく、安全保障か完全独立か、でもなかったはずだ。東欧での「ソビエト軍」の強権(ハンガリー・チェコ事件等々)、朝鮮戦争、ベトナム戦争‥‥私たちの記憶に新しい。

 しかしこんな政治的に未熟な言語を弄したところで、この画家の体験に基づく重い言葉に拮抗できようはずもない。
 ひとつだけ、私が注目したのは「実際には日の丸一本振られたわけではない」の一節。1943年とはそんな状況であったのだ。むろん1967年の作であるから、自画像と思われる「×」の形を添えられた像も、岸壁の人々も前途を示すように暗く、黒く描かれている。
 しかし当時は日常の風景として、港の1日の一こまとしての小さなさりげない出来事のように、周囲はあったのであろう。本人と家族にとっては、この絵のように暗い感情が渦巻いていたであろうが‥‥。
 日露戦争以降、戦争が日常化している社会状況の恐ろしさを見せ付けられる感じがする絵と言葉である。