十河城跡にたつ 称念寺副住職のブログ

高松市十川東町 浄土宗、称念寺の日常の様子や行事の紹介です。時々、十河城跡に関係することも書きたいと思います。 

江戸時代の古地図から

2018年10月06日 | 十河城のこと
 台風25号の影響がそれ程でもなく、一安心。明日が地域の秋祭り、家内は朝から神社の最終の掃除、獅子連の食事の用意など忙しそうです。副住職は、午前中の法務が終わった後、昨日の続きで境内の剪定作業でした。比較的、法務に余裕のある連休と思っていたら、夕方になって、お檀家様がお亡くなりになったという電話が入りました。「南無阿弥陀仏・・・」明日がお通夜、月曜日が葬儀です。月曜日に京都へ行く時間を遅らせました。

 昨日、古地図を載せたのでその続きを、



十河城の本丸跡に称念寺が建っています

 戦国時代末期、城主「十河存保」が九州戸次川の合戦で討ち死にし、その後、後継ぎの「千松丸」が変死?したことで廃城となりました。その廃城となった十河城の跡に、城の下にあった称念寺が移されました。


30年ほど前の上空写真です

 本堂の西側には森が広がり、その一部に墓地がありました。今は、その森が整理され、水田を含めて墓地に変わりました。

馬の墓

2018年06月27日 | 十河城のこと
 毎朝、散歩のおねだりをするクーちゃんです。


昨年11月に我が家にきて7か月(生後11か月)

 6時前になり、散歩に出かけました。


山門を振り返り、坂道を下りていきます

 近隣の方の散歩コースで、毎朝数人の方にお会いします。


寺の北東約100mにある「馬の墓」です

 この馬の墓、江戸時代に描かれたであろう、十河城古地図にも載っています。


現在ある場所は、元より少し移動しているようです

 十河城があった時代(戦国時代)、馬の獣医をしていたのが、池内氏。この仕事は、江戸時代、明治、大正、昭和の戦前まで続いていたそうです。池内家には、代々、馬の病気の治療に関する秘伝書が伝わっていたそうです。
 中には、戦場で臆病になる馬を治す方法、といったものもあったと聞きます。


 獣医をしていた池内氏が看取った馬の遺骨を埋葬したのがこの「馬の墓」。この墓にはいろいろな迷信が伝わっているそうですが、ここでは書きません。少し怖いです・・・