十河城跡にたつ 称念寺副住職のブログ

高松市十川東町 浄土宗、称念寺の日常の様子や行事の紹介です。時々、十河城跡に関係することも書きたいと思います。 

称念寺夏参り 「七日日の由来」

2024年06月12日 | 日記

夏参りの案内を山門前に出しました

 7月7日、10時からです。どうぞお参りください。

 今日も気温が高くなりました。午後から自転車で、2時間以上ポストインに回りました。

 ほぼ配り終えました。何とか皆様のもとに今週中に届けられそうです。

 今回の案内状も、裏表2枚印刷になっています。その中の一つを載せます。


「七日日(なのかび)」の由縁
 
 称念寺の夏まいり・施餓鬼会の事を、「七日日(なのかび)」と呼んでいたことを覚えていますか?
「七日日」の由縁は、今から四〇〇年以上前にさかのぼります。戦国時代、讃岐に長曾我部が攻めてきた時、今の称念寺の場所にあった十河城が、長曾我部に抵抗する四国最後の地となりました。十河城の周りに、長曾我部勢が続々集まり布陣していきます。住職は、鎌倉時代から伝わる大切な本尊様を戦火から守るために、井戸の中に隠しました。
 天正十二年六月十一日、奮戦むなしく十河城は落城します。戦の中、多くの人々が命を落としたことでしょう。生き残った人々は、お盆を前にして井戸の中から本尊様を取り出し、お堂に安置しご回向をしました。それが、天正十二年七月七日でした。それ以来、お盆前の法要を「七日日(なのかび)」と称して、毎年七月七日に開催して来たのです。
 明治になり、太陰暦から太陽暦に暦が変わります。お盆が七月十三~十五日から八月十三日~十五日になりました。称念寺も「七日日(なのかび)」を八月七日に行うようになりました。
 昭和の末年頃、土日とは限らない「七日日」(なのかび)はお参りしづらいだろうと、一度日にちを変えてみました。ところが、七日にお越しになる方が幾人かおられます。それでまた、八月七日に戻したということがありました。
しかし、昨今の猛暑に耐えかねて、数年前から七月中に移動しました。
 今年は、七月七日が日曜日に当たっています。久々の七月七日の夏まいりです。どうぞ、称念寺の長い歴史に思いをはせ、お参りください。