5歳の天才少女マチルダが、高圧的な父親や校長にいたずらで復讐するお話です。
マチルダは5歳で図書館の児童書を読み尽くし、大人の本(ディケンズとかヘミングウェイとか)を読み、かけ算もすべてマスターしてしまいます。マチルダの父親は詐欺商法で儲ける中古車販売業者、母親はビンゴとテレビにしか興味がなく女は勉強などしないで金持ちと結婚すればいいという考えの持ち主。両親ともマチルダには関心がなく、マチルダの才能にも気づかず、父親はマチルダに対して頭ごなしに怒鳴りつけ、本など読むなと言います。マチルダは父親に怒鳴りつけられたり本を引き裂かれたりして復讐を誓い、父親の帽子に接着剤を塗ったり、オウムを使って幽霊がいると思わせたりします。
マチルダの通う学校の校長先生は、女性ですが、マッチョなというか武闘派・体罰主義者で子ども嫌い。「禁止されている」からと鞭は使いませんが、子どもの髪や耳をつかんで2階からぶん投げたりします。マチルダは校長先生から嫌われ、友人がしたいたずらの犯人と誤解されて憤慨します。前半はただ頭のいい少女だったマチルダが、ここで念力を使える少女になり、念力で校長先生にコップの水をかけます。
後半に入り、マチルダたちに理解を示してくれる担任の先生ミス・ハニーが校長先生の姪で両親が早死にして校長先生に虐待されて育ってきたことがわかります。それを知ったマチルダは、最後にミス・ハニーのために、ミス・ハニーの父親の霊を装って校長先生を脅してミス・ハニーの親の遺産を返させた上で学校から追い出します。
ラストでは、詐欺がばれたらしく高飛びしようとする家族に、マチルダは別れを告げ、ミス・ハニーとともに暮らすことを選びます。
前半のマチルダは、怒鳴られただけで復讐を誓い、その復讐も帽子に接着剤を塗ったりとちょっと陰湿で、ちょっとわがまま感があります。中盤で他の子どもたちが校長に虐待される姿や他の子どもたちが微力ながら抵抗する姿を見ていても、マチルダは基本的に黙っています。その後でマチルダが校長から濡れ衣を着せられると、金切り声を上げて、怒りに燃えて念力でグラスを倒して校長に水をかけます。
しかし、後半になると、マチルダに成長の跡が見えます。ミス・ハニーがずっと虐待を受けてきたことを知ると、マチルダは、自分のためでなくミス・ハニーのために、念力をコントロールする練習を積み、復讐の計画を立てます。そして他の子どもが校長に逆さ吊りされたとき、マチルダは念力を使って、校長を脅してミス・ハニーの親の遺産を返させて学校から追い出します。
自分より虐待されてきたミス・ハニーの経験を聞いたことで、マチルダが成長したのでしょうか。
そして、最後にマチルダは、高飛びする父親と彼に付いていく母親、兄と別れることをあっさりと決意し、ミス・ハニーと一緒に暮らす道を選びます。5歳にして、親との決別・自立、虐待経験のある者同士で共に生きる道といった、本来重~いテーマが、さらっと描かれています。
そういう場面も含めて、マチルダは基本的にクールでドライに描かれています。5歳の子どもがあっさり親を捨てることもあり、そのあたり、親の立場としては、ちょっとショックを感じますが、文化的な違いもあるのでしょう。
流し読みしてて、前半は、マチルダの優等生ぶりと復讐のやり過ぎ感がちょっと鼻につき、後半、ミス・ハニーの話以後の話の内容の重さとマチルダの対応のサラリ感に若干のとまどいを持ちました。
でも、読み返して、これをミス・ハニーの話を聞いたマチルダの成長物語と受けとめるとストンと落ちて、爽快な読後感となりました。それに虐待経験者が「虐待の連鎖」に陥らずにいい人になるのも、読者としてはうれしいですしね。クェンティン・ブレイクのさし絵のミス・ハニーとマチルダペアの和み感もプラスです。

原題:Matilda
ロアルド・ダール 訳:宮下嶺夫
評論社ロアルド・ダールコレクション
新装版は2005年9月30日発行(日本語版初版は1991年、原書は1988年)
マチルダは5歳で図書館の児童書を読み尽くし、大人の本(ディケンズとかヘミングウェイとか)を読み、かけ算もすべてマスターしてしまいます。マチルダの父親は詐欺商法で儲ける中古車販売業者、母親はビンゴとテレビにしか興味がなく女は勉強などしないで金持ちと結婚すればいいという考えの持ち主。両親ともマチルダには関心がなく、マチルダの才能にも気づかず、父親はマチルダに対して頭ごなしに怒鳴りつけ、本など読むなと言います。マチルダは父親に怒鳴りつけられたり本を引き裂かれたりして復讐を誓い、父親の帽子に接着剤を塗ったり、オウムを使って幽霊がいると思わせたりします。
マチルダの通う学校の校長先生は、女性ですが、マッチョなというか武闘派・体罰主義者で子ども嫌い。「禁止されている」からと鞭は使いませんが、子どもの髪や耳をつかんで2階からぶん投げたりします。マチルダは校長先生から嫌われ、友人がしたいたずらの犯人と誤解されて憤慨します。前半はただ頭のいい少女だったマチルダが、ここで念力を使える少女になり、念力で校長先生にコップの水をかけます。
後半に入り、マチルダたちに理解を示してくれる担任の先生ミス・ハニーが校長先生の姪で両親が早死にして校長先生に虐待されて育ってきたことがわかります。それを知ったマチルダは、最後にミス・ハニーのために、ミス・ハニーの父親の霊を装って校長先生を脅してミス・ハニーの親の遺産を返させた上で学校から追い出します。
ラストでは、詐欺がばれたらしく高飛びしようとする家族に、マチルダは別れを告げ、ミス・ハニーとともに暮らすことを選びます。
前半のマチルダは、怒鳴られただけで復讐を誓い、その復讐も帽子に接着剤を塗ったりとちょっと陰湿で、ちょっとわがまま感があります。中盤で他の子どもたちが校長に虐待される姿や他の子どもたちが微力ながら抵抗する姿を見ていても、マチルダは基本的に黙っています。その後でマチルダが校長から濡れ衣を着せられると、金切り声を上げて、怒りに燃えて念力でグラスを倒して校長に水をかけます。
しかし、後半になると、マチルダに成長の跡が見えます。ミス・ハニーがずっと虐待を受けてきたことを知ると、マチルダは、自分のためでなくミス・ハニーのために、念力をコントロールする練習を積み、復讐の計画を立てます。そして他の子どもが校長に逆さ吊りされたとき、マチルダは念力を使って、校長を脅してミス・ハニーの親の遺産を返させて学校から追い出します。
自分より虐待されてきたミス・ハニーの経験を聞いたことで、マチルダが成長したのでしょうか。
そして、最後にマチルダは、高飛びする父親と彼に付いていく母親、兄と別れることをあっさりと決意し、ミス・ハニーと一緒に暮らす道を選びます。5歳にして、親との決別・自立、虐待経験のある者同士で共に生きる道といった、本来重~いテーマが、さらっと描かれています。
そういう場面も含めて、マチルダは基本的にクールでドライに描かれています。5歳の子どもがあっさり親を捨てることもあり、そのあたり、親の立場としては、ちょっとショックを感じますが、文化的な違いもあるのでしょう。
流し読みしてて、前半は、マチルダの優等生ぶりと復讐のやり過ぎ感がちょっと鼻につき、後半、ミス・ハニーの話以後の話の内容の重さとマチルダの対応のサラリ感に若干のとまどいを持ちました。
でも、読み返して、これをミス・ハニーの話を聞いたマチルダの成長物語と受けとめるとストンと落ちて、爽快な読後感となりました。それに虐待経験者が「虐待の連鎖」に陥らずにいい人になるのも、読者としてはうれしいですしね。クェンティン・ブレイクのさし絵のミス・ハニーとマチルダペアの和み感もプラスです。

原題:Matilda
ロアルド・ダール 訳:宮下嶺夫
評論社ロアルド・ダールコレクション
新装版は2005年9月30日発行(日本語版初版は1991年、原書は1988年)