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京都 嵐山 コロナ?静かな渡月橋

2020-10-30 | syu散歩
「渡月橋」
嵐山の大堰川に架かる橋で、嵐山の代表的な風景のひとつとなっている。古くは平安時代に空海の弟子、道昌が大堰川を修築したおりに架橋されたものといわれており、橋の名は亀山天皇が名づけたと伝えられる。








8世紀末以来約1100年の間、「京都」は、日本の都市であった。明治2年に全国初の小・中学校が開校している。
京都に水を引くため琵琶湖疎水が1890年に完成。
市内の大枝遺跡は旧石器・下賀茂神社付の北白川小倉遺跡は縄文時代・深草旧練兵場遺跡、エビスヤマ古墳など弥生、古墳時代、784年に長岡京・794年平安京
823年空海、東寺を、1100年平清盛らの保元ー平治の乱・足利尊氏大将軍は1338年。
京都府の南東部、山城地域には、京阪神大都市圏の総人口の8割が住み過密化している。
北は逆に過疎化、京都府の南西部の川が丹波高地に発する大堰川、保津川の下流部ー保津川出口が、嵐山から京都盆地南西部を流れ、大大崎町宇治川、木津川と合流して淀川へと注ぐ。
古代流域に「長岡京」が造営され、東の鴨川は、貴族の舟遊び「藤原道長」の桂山荘・桂離宮の別荘地になった。ここは府の灌水用水で重要であった。
「中世の11ヶ郷用水をめぐる争論は有名」
現在は、西京極の染め物工場が多い   今日は、上流部嵐山嵯峨野方面を散策。「桂川の長さ約22km」
「西京区」市の南西、昭和51年右京区から桂川右岸の松尾・桂・川岡・大原地域が分離して成立した。桂川の沖積平野である東部は、水稲と野菜で西部は、丘陵地で
筍や柿の産地であった。現在は宅地化。大枝・大原野に「洛西ニュータウン」がある。区内には、桂離宮・松尾大社・苔寺の西芳寺等がある。
京都市西京区嵐山は、丹波高地南緑の丘陵で景勝地で知られている。保津川が京都盆地に出る谷口の南側に位置し、古生層の山でも知られている。
保津川・大堰川の山地一帯を指す。自然美豊な所で紅葉が素晴らしい。
平安時代は、貴族の舟遊びが盛んであったとある。白河天皇・藤原公任の和歌が、13世紀の後嵯峨天皇は、離宮亀山に吉野の桜を移し春は景勝地として親しまれている。江戸時代になると保津川の筏流しが風物詩に。山中には13詣りの「法輪寺」・小倉山に「天龍寺」などあり、 三船祭・万灯流し・紅葉祭が。














 

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