道の脇に、龍神神社という看板が見えて、そちらに上がってみる。
すると、小高いところに池がある。人工池かな?
写真に見えているのが拝殿かな、と思って近づいてみたが、なんというか、神社らしい感じの建物ではない。
日本最古の大神「八大龍王辨財天大神 龍神神社」とあるが、最古の大神ってどういう意味だろうか。
天皇と龍神と宇宙人と大神神社の神話がある。
我が国最古の幹線道路「山辺の道」、1300年以上時が過ぎ、万葉人が残した遺物が点在しゆっくり歩いている。
大神神社・狭井神社を抜け、もうちょっと行くと、「玄賓庵」という寺にきた。小雨は止もうとせず、木の枝の雫が顔に当る。
高僧玄賓が隠居した寺
玄賓という高僧が隠棲していたところで、謡曲「三輪」で題材にされていると云う。
中はさすがに隠棲処と云う感じの建物、「玄賓」は、平安初期の僧で、もと興福寺に住み学徳一世にきこえたが、名利を避けて三輪山麓に隠棲したのがこの庵と云う。
重要文化財の不動明王像が伝わっている。 玄賓庵の先の山の辺の道も、いかにも古道という感じで趣がある。
真言宗醍醐派 不動明王
「檜原神社」に着く。
注連縄の鳥居は珍しい、とこの時点では思ったが、この近くは結構あると云う。
本殿前には、めったに見ない三輪鳥居がある。
崇神天皇の御代、皇居の殿内に祀られていた皇祖神天照大御神を、初めて皇居外で祀るようになった聖蹟。
天照大御神は、ここから90年掛けていくつもの土地を遷座しながら伊勢神宮に至った。
その間に一時的にでも天照大御神が祀られた神社を元伊勢と呼ぶが、ここは「元伊勢」の先駆けといえる。
本殿左隣のお社は豊鍬入姫宮で、天照大御神の遷座を行った皇女・豊鍬入姫命を祀っている。
大神神社と同じ三つ鳥居が立つ 神鏡をまつった「笠縫邑」の跡という。
大神神社摂社の一つで、ご神体の三輪山に鳥居は立っている。社前広場から大和盆地が眺められる。神社の周りには、池と古墳と万葉の歌碑が点在している。
元伊勢神宮祭主、北白川房子氏(明治天皇第七皇女)の歌碑。
檜原神社旧蹟をおろがみまつりしをよめる 房子
「立つ石に 昔をしのび をろがめば 神のみいつの いやちこにして」
昭和33年に詠まれたもの。
住宅は無く茶店が一軒、柿桃の畑が広がる 拝殿
次回は、万葉の歌碑を探しながら、小雨は降り続いている。
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