syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

山の辺 大神 狭井神社

2014-03-08 | 気まま旅

田圃の真ん中に箸墓古墳は、周濠を持たない巨大な古墳で最古、茶白山古墳・天王山古墳・大福古墳・茅原大墓古墳・談山神社・聖林じ寺・石位寺・長谷寺と三輪の、大和国一の宮「大神神社」、中世には、横大路が初瀬(伊勢)街道となり門前町として発展している。
三輪山麓には、山辺の道や磐余道が通じ、初瀬には天然記念物「与喜山暖帯林もある。
日本最古の幹線道路「山辺の道」入る。

境内史跡の「大神神社」は、三輪山西麓に鎮座。
式内大社の「大神大物主」にあたり、大和国一の宮・旧官弊大社。祭神は、倭大物主櫛𤭖玉命。
三輪山を神体とする神社で本殿がない。

大和国一の宮、新池・参道を抜けると「二の鳥居」        白鶴・日本盛・白鶴・松竹梅などの奉献酒栄溝の樽酒が勢揃い
    

境内や三輪山周辺は、磐座などが多数存在する「三輪祭祀遺跡」となっている。
鎌倉初期「慶円・三輪上人」により「三輪神道」が確立された。

取水手楼           常緑樹の境内と案内板                   拝殿はあるが「神殿」は無い
    

重要文化財ー山麓拝殿・奥の三輪鳥居・神宮寺の大御輪寺は、摂社大直ねこ神社の本殿となっている。

元旦・2月6日御田植祭・4月18日鎮花祭と11月14日の杉玉酒造家に授ける「酒祭り」がある。

醸造安全祈願祭「酒まつり」は、新酒の仕込みに入る ( 最近では一年を通じて仕込みをしている酒蔵や既に、この時季には新酒を出荷している蔵もある)が、 この季節、例年11月14日に、「 酒の神様 」 「 醸造の祖神 」 と仰がれるご神徳を称えて、
新酒の 「 醸造安全祈願祭 ( 酒まつり ) 」 が行われる。
全国の酒蔵や酒造関係者、杜氏などが参列して、その年の醸造の安全と酒造界の発展を祈願するという。
お酒と聞くと、つい日本酒をイメージしてしまいますが、日本酒に限らずビールやワイン、ウイスキーなども含まれているという。
神さまは、日本酒だのビールだのというような事には拘らんという。

拝殿には、祈祷殿向拝の大杉玉 ( 直径約1メートル60センチ、重さ約150キロ ) が新しいものと取り替えられる。( 酒林とも云う)
拝殿に吊るされる。

「三輪成願稲荷社」末社

巳の杉神さんから右の方向に進んでいくと三輪成願稲荷社があります。
三輪成願稲荷社は、稲荷の神様で、全ての食べ物を司ると共に商売繁盛・開運招福・念願成就。

山全体が、三輪の神「稲荷社末社  神杉と玉砂利が合う
  

三輪山山麓には、大神神社の摂末社が数多く点在する。
末社11社および摂社境内にある雑社、雑社とは、摂末社に属する社として、その境内に鎮座する社をいう。
大神神社末社 子孫「若松社」

三輪鳥居             若松社拝殿                  先代の神木
    

「久延彦神社」鎮座地 三輪字若宮山。祭神 久延毘古命。 大神神社の末社。

若宮社から狭井神社へ向かう参道の途中を北に分岐して登ると、南面して鎮座。切妻造、瓦葺の拝殿の奥に、春日造、桧皮葺の本殿が鎮座している。 久延毘古命とは、「古事記」の大国主命の国作り神話に見える案山子のこと。

「久延毘古は今に山田之曾富騰という者なり。この神は足は行かねども、天下の事を盡)に知れる神になもありけり」とある。
クエは崩ゆの活用形だから、雨風にさらされて朽ち果てるものということである。

曾富騰という言葉についても、雨に濡れそぼつという意味の動詞からきた呼名であり、神名の由来は「身体の朽ち果てた男性」で知恵者の化身として信じられていた。田の神・水の神ともされる。

「知恵の神さん」として有名で、全国から受験生や学生等、お参りする人が絶えない。境内には合格祈願等の絵馬が、数多くかかっている。

東海自然歩道にここも三輪明神の一つ「久延彦神社」
    

「狭井神社」は、狭井川の畔にある大神神社の摂社。

「狭井坐大神荒魂神社」という。
社伝によれば、創祀は垂仁天皇の時代とされている。大神荒魂神を主神として祀り、大物主神、姫蹈鞴五十鈴姫命、勢夜多多良姫命および事代主神を配祀している。
荒魂とは、荒ぶるような猛々しい働きをもって現れる霊魂のことである。戦時や災時などにあう、祭祀を受けることによって和魂の性質に。

三輪山の標高は467.1mにある。その山頂に高宮神社、信仰者の登頂を認めている。社務所に願い出て登る。

神武天皇の皇后「ひめたたん五十鈴媛」が祭神           「狭井神社」湖畔に百合の花が咲く
    

拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。
ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治るという。
このため遠近から神水を汲みにくる参拝者は多く、自由に取水することができ、その量にも特に制限を設けていない。

神社を訪れた時期は奈良県全体が水不足の状態にあり節水を呼びかける札が立っていた。

    拝殿                        三島由紀夫の碑が、
    

「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」
「山の辺の道」三叉路に差しかかると、山側に「神武天皇」の歌碑がある。

                   葦原の しけしき小屋に菅畳いやさや敷きて わが二人寝し

東征の後に橿原の地で即位した神武天皇が、大久米の進言によって、狭井川の辺で見初めた「比売多多良伊須気余理比売」と一夜を明かした時の歌で,「古事記」中つ巻にあり、それを記念して「神武天皇聖蹟狭井河之上顕彰碑」が建っている。

古事記にも載っている「狭井川」、三輪山の麓から西の奈良盆地へ「狭井川」が流れている。
古事記では、川の畔に大神神社・三輪明神の祭神、大物主神の子、伊須気余理比売命の館が在り、神武天皇が彼女を訪ねてこの辺りへ来た時、佐韋(山百合)が咲いていたので「佐韋川」と名付け、また、古来より此の地は「出雲屋敷」と呼ばれ、日本の建国にも関わる極めて重要な地域。 

              狭井河よ雲立ちわたり畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす    古事記(中つ巻)の歌

山の辺の道                       神武天皇聖蹟
    

次回も万葉・山辺の道を。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿