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月江寺と新倉山(富士山と桜) syu散歩

2017-06-02 | syu散歩

1931年10月1日 富士山麓電気鉄道の駅として開業。 1960年5月30日 社名変更により富士急行の駅となる。


富士吉田市下吉田は
山梨県南部に位置し、市域を流れる宮川の北西岸に、甲斐国志によれば、かつては下宮浅間神社(現在の小室浅間神社)の祈祷所であった
月江寺で、天台宗寺院で、称光院と呼ばれており、後に廃絶したという。
称光院は臨済宗寺院として月江庵と改め、向嶽寺に属し富士北麓における拠点として富士道者に旅宿と神符を提供する御師的役割を果たしたと云う。
戦国期の享禄2年・1529年、月江寺住職が向嶽寺の輪番を務めた記録を記している。
1591年、加藤光吉から下吉田に2石を寄進した加藤氏判物状の写があると云う。
1649年、将軍家光から寺領16石を安堵する朱印状を得たという。
江戸期には、国学において廃仏論が主張され、月江寺では、1706年、正徳年間に鎮守社としていた下宮浅間神社との鎮守争論が発生し、江戸後期には収束するものの明治初期に再燃し、県内では類例の少な廃仏毀釈の事例となっている。
現在では境内が月江寺公園として整備され、一部は富士学苑高等学校の敷地に。

「月江寺と富士信仰」
富士山の御師町として発展した下吉田に所在する月江寺は富士信仰との関わりが強く、江戸時代には小室浅間神社の祈祷所として諸行事を取り仕切っている。寺には多くの什宝が伝来し、開祖の絶学祖能ほか法燈国師、三光国師、大円禅師(抜隊得勝)、峻翁令山ら5幅の祖師画像を伝えている。
近世期では谷村藩主秋元氏が寄進した絵画が多く残され、
秋山敬「月江寺過去帳とその成立の歴史的背景」「富士吉田市史研究 第11号』富士吉田市教育委員会、1996年
秋山敬「富士信仰の展開と文化」『富士吉田市史』中世2章3節、1999年
犬飼顕澄「近世中期市域諸寺院の動向」『富士吉田市史』
『開山580年遠忌 月江寺展 -富士北麓 禅の美術-』富士吉田市歴史民俗博物館、2009年等の資料が。

                 月江寺の乾杯通り


                 古い建築の角田医院


「月江寺」山梨県富士吉田市下吉田に所在する。

臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は水上山・本尊は地蔵菩薩。

                      本堂


                    月江寺山門


                  木造聖観音菩薩坐像(市指定文化財)


                   月江寺から見た富士山


                   釈迦入滅終焉涅槃


                    火口石の池


                    月江寺の湧水


                    月江寺の池


                    月江寺の六道地蔵尊




「富士急行電鉄」
1926年、富士山麓電気鉄道株式会社創立。
1926年9月・富士の霊峰を中心に富士山麓一帯を世界的観光地として大規模に開発するという構想のもとに、まず第一歩として交通機関を整備。
富士山麓電気鉄道株式会社を設立し、翌年、御殿場~富士吉田~河口湖間及び大月~富士吉田間、富士吉田~河口湖~精進湖間の自動車営業を開始した。

     JR大月駅から河口湖まで 1時間以上の乗車(富士のみちに沿っている。国道139号線)


「新倉山浅間公園」
新倉富士浅間神社の境内地から忠霊塔まで一直線に伸びる398段の階段を。
階段愛称は、「咲くや姫階段」と云う。

忠霊塔までの道は、観光客で賑わっていた。夜間は、ライトアップされる。





                         社殿


                     富士吉田の町と富士山


                     398段の階段を登ると


                       忠霊塔


                      忠霊塔と富士山


                      残念ながら薄曇り




                        大鳥居の間から

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