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市原市 八幡宿「飯香岡八幡宮」の歴史と夫婦銀杏 

2018-07-14 | 気まま旅
「JR内房線」
千葉駅 - 君津駅間は複線区間となっており、列車の本数も比較的多く東京方面からの快速列車も乗り入れている。
一方で君津駅以南は、未だ、単線区間で、列車本数は少なくなる。

蘇我駅・浜野駅・「八幡宿駅」・「五井駅、小湊鉄道」・姉ケ崎駅・長浦駅・袖ケ浦駅・巌根駅・木更津駅・・・・安房鴨川(30駅)。

「八幡宿」ー市原市八幡ー
江戸時代は、海と陸の交通要衝として発展した宿場町、市内の内陸部や房総海岸から運ばれてくる年貢米の中継基地で、八幡海岸から「五大力船」と呼ばれた中型帆船が海路9里 (およそ36km) 年貢米を江戸。
浜本地区は、五大力船の船問屋の拠点で年貢米を納める蔵が立ち並び、南北に走る旧房総往還は、参勤交代路で、休泊のための本陣や問屋場が置かれた。
久留里黒田藩など7大名が伴揃いを整えて通行し、 幕府の街道保護政策で八幡から海路による直接の江戸入りが認められなかった一般の旅人たちも
ここから徒歩で江戸をめざした。
明治維新後は、船持ちや船乗りたちを除く一般の人たちはわずかばかりの田んぼで農業のかたわら、のりや貝を拾って生活であったと云う。
昭和戦前から戦後30年代にかけての八幡は、観光地で、遠浅の海岸は海水浴場、潮干狩りで賑わったと云う。

                      JR内房線の一部マップ


千葉街道から国道357号線で埠頭には、三井造船・昭和電工・古河電工・石油コンビナート・養老川公園等が、高速では京葉道路から館山道路が横断している。
                 かっては砂洲上、1957年埋め立て 京葉工業地域


                国道14号・357号・16号線と幹線道路が海寄りに。


「飯香岡八幡宮」 主祭神ー誉田別尊・息長帯姫尊・玉依姫尊他、県社の上総国総社。創建ー伝・白鳳年間(675年)。

               江戸時代大久保氏の陣屋が置かれた。 海陸路の宿場


飯香岡八幡宮として鎮座する以前は、「六所御影神社」と称したといわれ、一国一社の八幡宮として勧請されたことに起源をもつと云う。
天平宝字3年の759年、全国放生の地に鎮座する国府八幡宮と定められ、国府司祭の放生会を現在に伝える上総の国の古社の一つ。
中世以降上総総社としての機能を持ち、その名残から、国府総社と尊称されている。
1158年、山城国の石清水八幡宮「諸国荘園官符」・「上総国市原別宮」と記載され、石清水八幡宮別宮の市原八幡宮として中世以降、源氏・千葉氏・足利氏・徳川氏の崇敬を集めた。
徳川家康により、所領150石を安堵され、10万石の格式を与えられ明治に到る。



                 秋の大祭柳盾神事は県重要無形民俗文化財


「武運・海上守護神」特に武士の信仰が厚かったと云う。
879年、 朝廷により社殿が造営される。940年、 社殿を造営。1008年、 鎮守府将軍源頼光により社殿が造営される。1064年、 鎮守府将軍源頼義が造営料として米1000石寄進する。1065年、 源頼義の寄進により、社殿を造営する。1091年、 源義家が鉄製矢筒一箇と矢鏃二本を寄進する。
保元3年の1158年、10月 - 石清水八幡宮諸国荘園官符中に「上総国市原別宮」の記事あり。
1171年、 千葉常胤、武運長久・家門繁栄を祈願し、社殿の修理を行う。1180年、「源頼朝」太刀一振りを奉納する。・・・・。







「夫婦銀杏」重要文化財に指定。
飯香岡八幡宮本殿の右側にある。地上約2.8mのところから大きく二又に幹が分かれ、相対しているところから夫婦銀杏の名が付けられたものと思われる。木の高さは約16m、幹周りは約7.6m。
社伝によれば、天武天皇・八幡宮を勧請した際に勅使桜町中納言卿によって植えられた記念樹と伝えられているが、社伝には矛盾がある記載もあるので、それをもって樹齢を確定することはできないと云う。
社殿左側には、「源頼朝」が逆に植え根付いたとされ、「倒いちょう」といわれているイチョウがある。
この伝説の真偽はともかく、それほどイチョウの生命力は強い。現在、太い幹が折れている夫婦銀杏である。





















                  飯香岡神社と道路を挟んで「白山神社」がある。


                            社殿


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