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五井 小湊鉄道と全国2位規模の「上総国分寺跡」

2018-07-13 | 気まま旅
小湊鉄道は、戦前陸軍の鉄道であった。
1990年代後半からの10年間で乗客が急減、2000年代では、多少減少幅が緩やかになったがやはり乗客減少傾向であった。
合理化により、2000年以降では、2002年に里見駅、2005年に上総山田駅が無人駅・2004年時点では自動券売機が設置されている駅はなかったが、
曜日・時間を限って営業をしていた上総村上駅・海士有木駅・上総三又駅・馬立駅の各駅が2013年に無人化された際に自動券売機が置かれ、2002年に一度無人駅となった里見駅は、交換設備の使用再開に伴って再び駅員が配置され有人駅に、駅係員の合理化が進む一方で車掌は全列車に乗務しており、無人駅では各駅ごとに検札・集札を行い、無人駅から乗車券を持たずに乗車した旅客には車内で切符を発売、国土交通省関東運輸局の2005年(平成17年)
ワンマン運転を実施された。最近テレビなどに登場し人気鉄道に。
養老渓谷駅 - 上総中野駅間の板谷隧道(トンネル)は千葉県内の鉄道の最高地点になっていると云う。
「千葉県市原市五井町」県西部・市の北西ー養老川河口デルタ地帯に位置している。
昭和63年ー市原・五井・姉ヶ崎・市津など編入し「市原市」に。大部分が上総丘陵と北部に養老川で、台地中央に、縄文・弥生時代の遺跡が多い。
北部の海岸は海岸低地と埋め立てー2148HA-京葉工業地域に。
この地は、文化改新後「上総国」の中心地で、国衙が置かれ、奈良時代は、惣社上総国分寺が建立されている。
鎌倉時代は、三浦半島と房総半島を結ぶ交通の要地として栄えている。江戸時代になると、幕府直轄地・旗本知行地が錯綜し、180余の村々に細分されいたと云う。戦後、半農半漁でノリと貝を採集から埋め立てられ現在は、東京湾岸工業地域形成中心地に変貌している。
丘陵部にはゴルフ場が20か所を超す全国一と云われている。







「上総国分寺跡」
JR蘇我駅から小湊鉄道「上村村上駅」東に1KM-惣社台地にある。
国分寺ー清浄院国分寺ー真言宗の寺。





奈良時代後期創建とされる国分寺の伽藍跡



                寺域約13万M2(武蔵野に次ぐ全国2番目の規模。


            国分寺北東、「祇園原」にー上総国分寺尼寺跡と博物館がある。


















次回は、千葉県市川方面へ。

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