syuの日記・気まま旅

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山東出兵始まる

2020-09-20 | syu散歩

蒋介石
「満州鉄道」は、
日露講和条約・ポーツマス条約、1905年9月5日調印とそれに連動した満洲に関する「日清条約」(中日会議東三省事宜正約、北京条約、1905年12月22日調印)によって日本が獲得した中国東北地方に関する主な権益は、①関東州(中国東北部)の租借権・②ロシアが権益を持つ東清鉄道の中の長春~旅順・大連の区間の鉄道経営とそれに付随する権利・③安東(あんとう)~奉天間の鉄道経営権・④鴨緑江流域での木材伐採権であった。
政府は、①については、旅順に〈関東都督府〉を設立し、関東州支配を進め、④については安東(現・丹東)に鴨緑江保水公司を設立して対応した。②と③については、表向き鉄道経営に関する権益であるので、日本政府は、新たな鉄道会社を設立して対応することとし、満鉄を設立するのであるが、政府も確固たる方針を当初から定めていたわけではなかったと云う。

「山東兵出」
1912年、中国では孫文が漢民族による共和国樹立のために辛亥革命を起こして清朝を打倒して新たに中華民国を成立。
しかし、清朝の軍閥の一人袁世凱が第二革命によって孫文を倒し、新たに中華帝国を設立して孫文は日本に亡命・「袁世凱」は、自ら皇帝になって清朝時代のほとんど変わらない政治をしていた。孫文は、それを気に入らない。孫文は日本でじっくり革命の機会を狙ってた。
そんな時にとある政党が中国で躍進し、その政党の名は、「中国共産党・中華人民共和国」で独裁政治の政党に。
また、当時中国は袁世凱が亡くなり、それに合わせて元々袁世凱に反抗していた軍閥たちが乱立し分裂。孫文は、中国共産党と一応手を組んで、袁世凱の跡継ぎの段祺瑞を倒そうとし、これを「第一次国共合作」という。
上海クーデターと北伐ー1925年、辛亥革命を成し遂げた孫文がなくなり、孫文の後を継いだのは「蒋介石」でした。
若槻内閣は総辞職し、内閣は元軍人の田中義一に移ります。

「九段坂の父」 大高ひさを
1)戦友の戦友の 父を背負って九段坂 軽い背中にもた振り振り返り「父さん今日からこの僕があなたの倅になりますよ」
2)あの言葉あの言葉 敵弾にたおれた戦友が 大君の萬歳叫んだ息で 「心に残るは只一つ手足不自由な父の事」
3)安らかに安らかに さらば眠れよ忠魂よ 生きて還ったせめての義務 「貴様の大事な父上は俺が引き受けた」

「九段坂の母」 石松秋二
1)上野駅から 九段坂 勝手知らないじれったさ 杖を頼りに 一日がかり 倅来たぞや 逢いに来た
2)空を衝くよな 大鳥居 こんな立派な 御社に 神と祀られ 勿体なさよ 母は泣けます 嬉しさに
3)両て合わせて ひざまつき 拝むはずみの 御念仏 はっと気付いて うろたえました 倅ヨ許せよ 田舎者


昭和3年6月5日
奉天駅に近づける矢先 張氏の列車爆破さる。張作霖氏始め負傷多数 満鉄陸橋も破壊さる「張氏爆殺事件」。
張作霖氏の乗つた特別列車が満鉄奉天駅を距る1km満鉄線の陸橋下の京奉線をばく進中 突然がう然と爆弾が破裂し 満鉄の陸橋は爆破され 進行中の張氏の特別列車の貴賓室および客車三台破壊され一台は火災を起し焼滅し 陸橋も目下燃えつつあり我守備軍および警官出張中である・・・・。
「奉天特派員四日発」ー 張作霖氏は無事危機を逃れ遭難個所から自動車にて城内の私邸に帰つたが負傷している模様である 負傷者は可なり多数に上り苦しいうめき声を立てて救ひを求めて居る 列車中の負傷者は乗込中の支那兵士が運びだしたが付近通行中の支那人で負傷したものも相当あり 自動車等辺りに飛び 付近民家の窓がらす等全部破壊されて居る・・・。

今日のニュースから 立憲民主党へ、「党名と代表」を変えよ。代表は、女性に。

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