syuの日記・気まま旅

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県立大磯城山公園 syu散歩

2017-06-12 | syu散歩

「海を見下ろす 湘南平」
高い山ではないが相模湾を一望できる眺望は素晴らしく、桜の木も多く花見の季節は家族連れで賑わう。
平塚市の高麗山(168m)の公園の一部で、北側の旭地区出縄から地続きでバス通り、高麗山公園と泡垂山の公園全体を、湘南平などと称される。
高麗山公園内にはハイキングコースが整備、四季を通じて家族連れや中高年ハイカーが訪れ、近隣の小学校では格好の遠足コースとなっている。
泡垂山から高麗山に向かう途中には浅間山があり、浅間神社と一等三角点がある。
平らな山頂に現在はレストハウスとテレビ塔(平塚テレビ中継局)が、「関東の富士見百景」、「かながわの景勝50選」、「かながわの花の名所100選」、「かながわ未来遺産100」、「かながわの公園50選」、「夜景100選」及び「平塚八景」に選ばれている所。
「泡垂山」の地名は
曽我物語に由来し、虎御前のもとにいた兄十郎の危急を聞き曽我の里から駆けつけた弟五郎が近道をしようと馬でこの山に駆け上ったところ山頂付近で馬が泡を垂らしたところからつけられたという。またその時に馬が前足を踏ん張った場所から泉が湧きでたとされ、のちに十郎が虎女への文をこの水で墨をすりしたためたことから「十郎の硯水」として現在も湘南平東側入口の横に史跡として残っている。
昭和の初期頃まで此処には茶店があったという記録もあり、昔の日本人の曽我物語好きを偲ばせる。
昭和16年、には高射砲陣地が造られ、終戦前のB-29による首都圏への爆撃の時、目標にした富士山からこの上を通って東京方面に向かったB29に向かって砲撃したが届かなかったという。
この高射砲陣地は米軍の爆撃の対象となり破壊され、山の北側にある古寺荘厳寺も、その巻き添えとなり焼失(現在は再建されている)した。
戦後暫くは荒廃したままであったが、昭和32年、に平塚市と神奈川中央交通がここを自然公園とする計画を立て開発・整備し、
「湘南平」と命名。その後、放送所設置及びレストハウス立て替え等が行われ、現在に至っている。

「太田道灌」 1432-86 扇谷上杉定正の執事を務め、主君に殺された名将。
江戸城を拠点に上杉氏勢力拡大に尽力、その名声を妬むもの多く主君定正に殺された。道灌は、「当方滅亡」と叫んで、その通りになる。

「長尾景春」 1443-1514 戦国時代武将、1471年父と共に古河城攻めに参戦している(享徳の乱)。
主君ー上杉顕定・足利成氏(古河公方)下に逃れた景春は、成氏から左衛門尉の官途名を与えられて奏者を務めながら再起をうかがっていたが、やがて道灌が暗殺されると、成氏の元にいた景春は道灌を討った後に顕定に攻められていた上杉定正に加担して相模国に入り顕定と戦う。
(長享の乱)。この頃に出家して「其有斎伊玄」と号している。ところが、1494年、に定正と結んでいた成氏が顕定と和睦すると、あくまでも顕定と戦おうとする景春と成氏の意向に従って顕定と和睦しようとする嫡男の景英が対立、最終的には成氏に従った景英は帰参を許されて顕定から白井長尾家の当主に取り立てられ、景春は当主の座を追われるとともに親子で敵味方に分かれて戦うことになったとみられる。

                          県立 大磯城山公園


景春が、古賀公方と共に乱を起こすと、神奈川県内の小沢城 金子掃部助・溝呂木城の溝呂木正重・小机城の矢部兵庫助などが呼応したが
大磯城(小磯城)の越後五郎四郎を協力するの反乱に対し、扇谷上杉家の「太田道灌」は、道灌に味方する相模勢と合流し、1477年溝呂木城を落とし
大磯城の越後五郎四郎は降伏している。(この戦いの記録は定かでないと云う)
「血洗川」は、その時の兵士が、刀や体などを洗い、川が赤く染まったと言い伝えがあると云う」



大磯城・小磯城の城郭は、旧三井邸(標高48.6m)頂上が「監視台」では?。現在の展望台あたりが駐噸地的役割としていたと推定。
現在、明確な人口堀切などは見つかってないと云う。
が、その後の北条早雲が1495年頃相模へ進出し、1512年三浦義周の岡崎城を陥落させており、その前には、ここ大磯も北条軍に陥落していたのではと
推定されている。



園内には、多数の横穴古墳があり、縄文土器などが出土、又鎌倉古道と思われるところも認められている。
明治31年この地に「三井財閥の当主が別荘を構え、全国の古社寺の古材を用いて「城山荘」を。
茶人織田有楽斎が建てた茶室「妙庵」等が点在している。



昭和62年、県大磯城山公園として開園している。


長い歴史に彩られ、豊かな自然と文化にかこまれた公園で多くの人たちに親しまれている。


公園には、シイやカシ・ケヤキなどの木々が枝を広げ自然を盛り立てている。


展望台に上ると遠区相模湾・伊豆半島・箱根連山から富士山が


紅葉時は、不動池・城山庵のライトアップされると云う


                   9.9Haの広さが (旧吉田茂邸の日本庭園も含まれる) src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/99/259249933ad3e3c4f95c9ee47ed47266.jpg" border="0">

「北蔵ギャラリー」
石造・瓦葺屋根ー絵画、写真など展示



                   入園無料


「三井高利」 1622-94 三井財閥の始祖
伊勢松坂屋の商家に生まれ、江戸の兄店で働く。兄死後、江戸で越後屋呉服店開業・薄利多売・現銀掛け値なし・正札販売の新商法で。





















旧吉田茂邸へ(公園と隣接しています。

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