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syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

土肥氏菩提寺 成願寺

2018-02-23 | 気まま旅
昭和11年2月26日に日本帝国陸軍若手将校が決起・「2.26事件」
陸軍の皇道派の青年将校が対立していた統制派の 打倒と国家改造を目指し、約1500名の部隊を率いて首相官邸等 を襲撃した。

元内大臣であった「牧野伸顕伯爵」が宿泊していたのが
「伊藤屋」
東京以外で唯一事件の舞台がここ湯河原でした。
宿泊者は牧野元内大臣夫妻・お付の女中、看護婦、 護衛の巡査の計7名。
宿泊先の条件は独立した建物であるという ことから、弊館別館「光風荘」が選ばれましたと云う。
牧野伯は、滞在10日の予定でお見えになり、3日目に事件に遭遇。 襲撃の責任者 河野寿陸軍航空大尉は、予め民間人の渋川善助 夫妻と偵察のため弊館本館に宿泊し、牧野伯の動向を確認後一旦東京に戻ります。
その後、兵を連れ自動車で湯河原に入り、夜明けを待って「光風荘」を 襲撃、牧野伯は、お付の女中の機転で女物の着物を かぶり勝手口から脱出、
塀を乗り越えて裏山に逃れた。
河野大尉の「女子供は傷つけるな」との命令により助かったとの ことです。
襲撃の際、「光風荘」は全焼。(現在ある建物はその後建て られたもの)

「湯河原・伊東屋」と云えば、長編小説「夜明け前」の島崎藤村が一番気に入っていたとある。

                    土肥城跡公園登山コース入口


                   城まで3600mの登り


「源頼朝」 1147-99 武家政治の創始者・鎌倉幕府初代将軍
平清盛に敗れ、頼朝の父「義朝」は殺され、頼朝は伊豆へ流された。
以降20余年流人ー以人王の令旨を受けて挙兵する。伊豆目代「山木兼隆」討ったが、石橋山(小田原市)の戦いで「大庭景親」二敗れ房総へ逃げた。
兵を集め鎌倉へ・富士川の戦いで平家方を敗走させ、常陸佐竹氏を討って関東を固める。
後白河院に蜜奏し、勅命を得て弟範頼・義経を代官として 木曽義仲・平家を滅亡させた。
義経謀反事件が起こり、院に強要して守護・地頭の設置を認め、 奥州藤原氏を討った。  (挙兵して10年)
平清盛継母「池禅尼」は、頼朝が、我が子家盛を生き写しで、清盛に命乞いをしたと云う。

                       山里


「土肥実平」 頼朝に信頼された武将・相模国中村荘司土肥宗平の子、頼朝を庇護した。
弟土屋宗遠・子小早川遠平を共に最初から挙兵に参加している歴戦の勇士で、行政の手腕もあったと云う。
平家滅亡後、備前・備中・備後の守護になった。真鶴岬(岩海岸)脱出の成功者である。このことを「北条政子」に伝えたのが、子遠平と云う。
小早川氏は、後の「安房」戦国時代の武将。

              土肥氏の菩提寺・「城願寺」の参道


「鎌倉時代」頼朝が守護・地頭設置の1192年・征夷大将軍になった時点と云う。
幕府は、侍所・公文所(政所)・問注所・・。長官(別当)に「和田義盛・大江広元・三善康信就任」-頼朝の独裁が強かった。
長男「頼家」将軍後・独裁を廃して「13人御家人代表の合議制に改め、「梶原景時・比企能員・和田義盛が謀反」の理由で討たれる。
「北条氏」が実権を握り始める。~二度の蒙古軍来襲・武士は総動員・・御家人は幕政に参加できず。貨幣経済の発達で衰え始める。
文化面で、貴族文化「藤原定家」新古今和歌集・・、権威であった。
源実朝も万葉調の歌を詠んでいる。運慶・快慶の彫刻・西行・鴨長明などの文学や「平家物語」の悲劇の活写された。
仏教も、栄西・道元・法然・親鸞・日蓮・一遍らが新仏教を興している。

                       城願寺入口


頼朝・実平の強運は、「城願寺」から。
                        山門


                        六地蔵


パワ―は、ビヤクシン(樹齢800年)・五所神社の楠木・・・

                古木ビヤクシン(天然記念物指定)






                     棟木の木(縁結びの樹)


                          鐘楼


                         七騎堂


                      土肥実平腰かけ石


                      謡曲「七騎落」


                         本堂


                     土肥氏一族の墓






                    源頼朝の腰かけ石


                    幕山の「しとどの窟」


           「山神樹叢」(天然記念物指定) 土肥実平の居住












4月第一日曜日 「土肥祭」 城願寺で法要ー「焼亡の舞」が奉納される。(武者行列など)

次回は、梅の名所、幕山梅園へ。(一月下旬)