東海古城研究会の2泊3か特別見学会 最後の回になりました。
駆け足というよりも全力疾走での3日間でした。
地元は徳川家康、織田信長、豊臣秀吉の出身地ということもあって、戦国時代は
地元の話のように思いがちですが、関東へ来ると「戦国時代は関東から」という
言葉が実感できました。
豊臣秀吉が小田原の役で関東に侵攻したのは、関東の戦国時代のずいぶん後期だった
ことなど、関東の歴史の奥深さの一端を知る機会となりました。

鷲城 内城を取り巻く広く深い堀と高い土塁
小山氏と関連の深い鷲城、事前に縄張り図で見た時には遺構は少し残っているかな?
という印象でしたが、予想外の規模の堀、土塁にビックリ!
現地に立ってみないと分からないものだと改めて思いました。
現在は雑木が茂っていて、全体像を見通すのが難しいが、整備をすれば
素晴らしい遺構が姿を現すことでしょう。

結城城 川に削られた島城の台地に築城
結城城は、結城合戦で知られる歴史ある城です。周囲を堀と水堀で囲み要害とし
平地の城館でありながら、優れた防禦体制を整えて、大軍に包囲されながら
長期間の籠城に耐えたということで有名です。
関東の武士が、城の防衛能力の重要性を結城合戦を通して初めて認識した
画期的な城だったとベテラン会員さんの解説がありました。
周囲を囲む堀だったと思われる場所は、現在は水田となって往時を偲ばせています。

結城城 集落内には今も幅の広い堀跡が随所に残り見どころとなっている

古河城 家老屋敷 長屋門

古河城 獅子ヶ鼻 水堀と土塁が残る
古河城の遺構は渡良瀬川の大規模河川改修工事と市街化によって、殆ど失われてしまった。
その中で、わずかに獅子ヶ鼻と言われる部分の水掘と土塁の跡、家老屋敷の長屋門等を
見ることができました。
水掘と土塁は住宅の裏からよく見えるということで、住人の方が招き入れて下さった。
感謝!
古河公方館 再現された広い水堀
古河公方館は、公園化されていて、日曜日ということもあって、多くの家族連れで
賑わっていました。
この水掘は、戦後の食糧難の時には水田になっていましたが、そのご再現されました。
おかげで、公方館が広い堀に囲まれた館だったことが理解できました。
3日間とも天気がよくて、順調に見学でき大満足の見学会でした。帰路はバスの
長旅でしたが、夕日に映える富士山がクッキリで、旅のオマケになりました。
駆け足というよりも全力疾走での3日間でした。
地元は徳川家康、織田信長、豊臣秀吉の出身地ということもあって、戦国時代は
地元の話のように思いがちですが、関東へ来ると「戦国時代は関東から」という
言葉が実感できました。
豊臣秀吉が小田原の役で関東に侵攻したのは、関東の戦国時代のずいぶん後期だった
ことなど、関東の歴史の奥深さの一端を知る機会となりました。

鷲城 内城を取り巻く広く深い堀と高い土塁
小山氏と関連の深い鷲城、事前に縄張り図で見た時には遺構は少し残っているかな?
という印象でしたが、予想外の規模の堀、土塁にビックリ!
現地に立ってみないと分からないものだと改めて思いました。
現在は雑木が茂っていて、全体像を見通すのが難しいが、整備をすれば
素晴らしい遺構が姿を現すことでしょう。

結城城 川に削られた島城の台地に築城
結城城は、結城合戦で知られる歴史ある城です。周囲を堀と水堀で囲み要害とし
平地の城館でありながら、優れた防禦体制を整えて、大軍に包囲されながら
長期間の籠城に耐えたということで有名です。
関東の武士が、城の防衛能力の重要性を結城合戦を通して初めて認識した
画期的な城だったとベテラン会員さんの解説がありました。
周囲を囲む堀だったと思われる場所は、現在は水田となって往時を偲ばせています。

結城城 集落内には今も幅の広い堀跡が随所に残り見どころとなっている

古河城 家老屋敷 長屋門

古河城 獅子ヶ鼻 水堀と土塁が残る
古河城の遺構は渡良瀬川の大規模河川改修工事と市街化によって、殆ど失われてしまった。
その中で、わずかに獅子ヶ鼻と言われる部分の水掘と土塁の跡、家老屋敷の長屋門等を
見ることができました。
水掘と土塁は住宅の裏からよく見えるということで、住人の方が招き入れて下さった。
感謝!

古河公方館は、公園化されていて、日曜日ということもあって、多くの家族連れで
賑わっていました。
この水掘は、戦後の食糧難の時には水田になっていましたが、そのご再現されました。
おかげで、公方館が広い堀に囲まれた館だったことが理解できました。
3日間とも天気がよくて、順調に見学でき大満足の見学会でした。帰路はバスの
長旅でしたが、夕日に映える富士山がクッキリで、旅のオマケになりました。