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三河・槙本城その2 堀切、竪堀、曲輪の遺構が多数で残りもよくワクワク 

2021-04-15 | 歴史

槙本城は愛知県豊田市槙本町にあります。 前回の その1では道をテーマに紹介しましたが、その2では堀切、竪堀、曲輪を中心に紹介したいと思います。   ※三河・槙本城 その1は→こちら
 今回も資料は (1)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994  と (2)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井 均編2010 です。


槙本城 図1  神社の造営で城道の一部が改変を受けたが、その他の遺構はほぼ原型を保っているのが魅力。
 多数の堀切と竪堀が見どころ。明確に残る曲輪の見学も楽しい。


槙本城 馬出曲輪Ⅶ周辺  中央奥に土塁   手前にⅤ Ⅶの面積は狭い 
 写真では確認しづらいですが、図2のⅤ郭から馬出曲輪Ⅶを見たところです。ⅰが通常の城道です。ⅦとⅤの間に堀切状の通路ⅱが南に下っていて、土塁の左右からの出撃が可能になっているように見えますので馬出曲輪と考えられるのではないでしょうか。


槙本城 南東隅のⅠ郭虎口 奥にⅠ郭の神社社殿が見える
 槙本城のⅠ郭(主郭)には社殿が造営されⅠ郭南辺には参道の石段が設けられていました。南東隅の虎口地形は神社造営時の改変が少しあったとしても、周辺の状況から考えると虎口と見ても良さそうでした。


槙本城 Ⅰ郭南側の腰曲輪Ⅱ  西側へ続く Ⅰ郭へ登る神社参道の石垣が設けられている
 Ⅱ郭は東西に長く伸びたⅠ郭の腰曲輪です。Ⅰ郭には土塁がなかったようですが、石段が必要な程の高さの切岸が四周を取り巻いて、守りの要となっていたようです。Ⅱ郭は写真の奥に伸びていました。


槙本城 腰曲輪②と右手にⅡ郭切岸   東から
 Ⅱ郭の下段には平場②が腰曲輪地形で伸びていました。資料ではなぜか曲輪名がつけられていませんでした。途中段差が少しありましたが、食違い虎口①まで一体の曲輪だったように見えました。


槙本城 腰曲輪Ⅲと右手にⅠ郭切岸   西から
 Ⅲ郭も東西に長い曲輪で、きれいに削平されていました。Ⅲ郭北辺には、北側のアに降りる道の虎口が有り、道が一部分残っていました。資料によれば ア にはaに下る道があったと考えられるとされていました。


槙本城 竪堀D 下から
 

槙本城 竪堀F  下から
 資料(2)によれば、竪堀Dと竪堀Fに挟まれた斜面 ア には谷底の平場aに在った水場への道が在ったのではないかと想定しています。そう考えると浅くて狭い竪堀Gは、同時期に稼働していたのではなくD、Fよりも以前に設けられた竪堀だったかもしれないと想像してみましたがどうでしょう。
 

槙本城 谷底の平場a 今もヌタ場があり水が見える
 ア を下った谷底は広い平坦面aが在りました。耕作地化していたときがあった様に見えましたが、一部にヌタ場が在り、今も水が見えましたので、ある時期水田になっていたかもしれないと想像しました。資料で言うように水場が在った可能性が高そうでした。


槙本城 南西尾根の堀切B 南西尾根を堀切Aと合わせて二重堀切で防御している 


槙本城 南西尾根の大きな堀切C 中央の土橋は後世の山道に見える
 堀切Cは尾根を断ち切って、麓近くまで掘り切られた竪堀でした。槙本城の弱点が南西尾根に在ったようで、Ⅰ郭側から見ると堀切A、B、Cの3条で厳重に守っていたということになりそうです。



槙本城 北東尾根の風神碑  後ろに土塁状地形⑫
 風神は北西を向けて立てられていて、背後に低土塁状の地形が在りました。城郭との関連は無さそうでしたが強い冬の風を鎮めるために祀られたのかもしれないと想像しました。


槙本城 ノロシ台の可能性のある⑥地点とノロシ穴?
 資料(1)では⑥地点をノロシ台の可能性のある場所としています。確かに⑥地点の北西側にノロシ穴といえる凹みが在りました。⑥は四周に低い段差のある方形で、東辺には堀切状の地形が1条有りましたが城郭関連かどうか確認できませんでした。資料(2)では⑥の地形の存在のみ触れられていました。

槙本城は改修が重ねられた山城ということで、複雑な遺構が残されていて分かりづらい面が有りましたが、想像力を膨らませて見学することのできる、見どころの多い城郭で楽しんで見学でき良かったです。


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