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笠原城(仮称) 美濃 新たに発見・確認・調査・作図が行われた興味深い山城

2022-12-02 | 歴史

笠原城(仮称)は岐阜県多治見市笠原町にあります。「愛城研報告 第25号」に論考と縄張図が掲載され、筆者である遠藤久生さんの案内・解説で現地見学会が催されました。論文の筆者による見学会の機会は少ないのでワクワクで出かけました。笠原地区には城館遺構の存在や関連地名も伝承されていませんでしたが遠藤久生さんによって論文が発表され「笠原城(仮称)」と名付けられました。当ブログでは以下「笠原城」と表記します。今回の参考資料は「愛城研報告 第25号」愛知中世城郭研究会2022の「多治見笠原町内に確認される城郭遺構について」遠藤久生  です。


笠原城 当日発表の笠原城)精緻なジオラマ
 見学会当日には現地で遠藤久生さん製作の精緻なジオラマがお披露目されました。主郭を帯曲輪が何重にも取り巻き、縄張図ではわかり難い笠原城の姿が見事に表現され、参加者の理解が高まりました。


笠原城 占地の理由は?  街道・間道を監視する役割だったか?
 笠原の地は、本能寺の変後に一帯を領した森 長可によって妻木城の妻木氏に与えたとされます。築城時期は小牧長久手の戦いの時か後の関ケ原の戦いの時と想定されています。明治の旧地図を見ると、笠原城の周辺にはA、BのルートがありAがメインで現在も車の通る主要道路になっています。間道Bが笠原城の近くを通っていましたが、今は歩く道のみが残っていました。
 

笠原城 笠原から南へ抜ける間道Bを扼する位置にあったか 公園化で遊歩道が設けられた
 資料では古い絵図から、国境の尾根道Cを指摘されていましたがCの道は明治の地図には描かれていませんでした。笠原は古くから焼き物の産地として栄えていたようで、Aがメインの街道でBは間道だった可能性を想像しましたがどうでしょう。


笠原城 縄張図                 ※ブログへの掲載許可を頂き掲載しました。
 遊歩道から西側の尾根を西に進むとオに至りました。遊歩道からここまでの間に城郭遺構は見当たりませんでした。東尾根オから主郭Aの間には堀切エ、竪堀ウ、堀切イ、土塁アが設けられ通路は尾根の両サイドを堀切イと竪堀ウで削られた土橋状地形のみとなっていました。主郭Aの周囲は何段もの帯曲輪が取巻き、その切岸が守りの要となっていました。


笠原城 堀切エ 手前に通路  通路を残して尾根の片側を断ち切っている 北から
 主郭への通路を絞り込むように尾根筋に堀切エが設けられていました。


笠原城 堀切イ  右に土塁ア 北から 手前に通路  見どころです!
 堀切イと竪堀ウで尾根の両側を断ち切り土橋状の虎口を形造り、土塁アも併せて主郭Aへの侵入に対する東側の厳重な守りとしていました。
 

笠原城 土塁Aと虎口の通路   東から 奥左手に主郭A
 堀切イと竪堀ウで挟まれた土橋地形(虎口)はやや広い様に見えました。ヒョットすると、柵などで通路をさらに限定していたのかもしれないと想像しました。


笠原城 長大な竪堀ウ 北下から 左に竪土塁状地形 
 竪堀ウは長さが20m近くある竪堀でした。竪堀から掻き揚げられた土は写真の左手に積み上げられ竪土塁状の地形になっていました。


笠原城 主郭A  西から 奥に土塁ア
 主郭Aの曲輪面は丁寧に削平されていましたが、表面観察では城郭遺構の地形は見当たりませんでした。居住可能な小規模な建物が在ったのではないかと想像しながら見学しました。


笠原城 張り出した平場B 北東から  遠藤久生さんの現地解説を聞く
 主郭Aの北西には一段下がって張り出した平場Bがありました。いわゆる横矢の位置と地形で、笠原城の重要な施設との解説がありました。


笠原城 主郭を取り巻く帯曲輪の一つ 北西から   左手に切岸 奥に土壇C
 主郭を取り巻く多数の帯曲輪の幅は狭い・広いがありましたが切岸とともによく残っていて、守りの要が切岸だったことがよくわかりました。解説では図3の土壇Cは虎口だった可能性が示されました。ヒョットすると帯曲輪の仕切り土塁だった可能性もありそうだと考えましたがどうでしょう。


笠原城 主郭A南東下の帯曲輪 東から 右上奥に主郭A
 笠原城の多数の帯曲輪の中で最も幅広で面積も大きい帯曲輪で、堀切イ、エとも接していました。犬走の様に幅の狭い帯曲輪も他にはありましたがこの帯曲輪は小屋掛けが出来そうな広いものでした。


笠原城 水場D付近 西から 左手上方に主郭
 主郭A近くには井戸がなく、南側の沢筋に水場D が在ったようで水場への通路の踏跡が残っていました。水を汲んだ場所の特定は難しそうですが、沢の一部には水が見えました。

※ 以下は見学会終了後、個人で見学した部分です。

笠原城 図2  b 間道の跡? 土塁状地形に開口部がある  北下から
 現地付近は近年の「かさはら潮見の森」の公園化で設けられた遊歩道の工事によって改変を受け、明治の地図にある間道が一部分で失われているようでした。写真の土塁状地形に開口部がある地形bは間道跡かもしれないと思って見学しました。ここが土塁跡だとすれば城域になりそうですがどうでしょう。


笠原城 図2浅間神社のある尾根を断ち切る堀切状地形a 北東から  手前に参道
 図2の浅間神社が祀られる尾根には尾根を断ち切るように堀切状の地形aがありました。城郭遺構とすれば堀切ですが、浅間神社の結界の溝の可能性も考えられそうですね。

笠原城はこれまで知られていなかった山城ですが、遠藤久生さんのわかりやすい解説で楽しく見学でき、期待以上の中身が濃い見学会で良かったです。

 


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