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佐伯城 豊後国 山上の石垣の城郭遺構を堪能 東海古城研究会の見学会で訪れました

2025-06-17 | 歴史


佐伯城 唯一現存する三の丸櫓門
 佐伯(さいき)城は大分県佐伯市鶴谷城山にあります。三の丸櫓門以外の建物は残っていませんが、山上の本丸をはじめとする残りの良い城郭石垣が堪能できました。佐伯城は毛利氏によって江戸期初期に築城され、本丸には三重櫓の天主があったとされますが、 その後の火災で失われ絵図にも残されていないようです。今回の参考資料は (1)見学会資料 (2)「国指定史跡 佐伯城跡」パンフレット 佐伯市歴史資料館 (3)佐伯市歴史資料館ホームページ  などです。

佐伯城 築城前に山上に祀られていた八幡神社は北西山下に移された
 佐伯後は佐伯湾に面し今も海上交通が盛んだったと思われ船頭町の名が残る。山下に遷座した八幡神社は後に若宮八幡神社と改称されました。

参加者に配布されたパンフレットは、詳細でわかりやすくかったので、参照しながら見学しました。この絵図は1738年に描かれたもののようです。※なお「佐伯城と城下町の絵図」でネット検索するとパンフレットの明瞭な絵図の原図を見ることが出来ます。

佐伯城 山下の駐車場から山上の城郭石垣を見上げる
 今は樹木が茂っていますが、それでも山下から山上の石垣を見上げることができました。往時の城下からは、聳え立つ天主の三階櫓がハッキリと見えたことでしょうね。

佐伯城 三の丸 左に櫓門 発掘調査が行われていた 北東から
 三の丸には佐伯文化会館が建っていましたが老朽化で取り壊され、発掘調査が行われていました。寛永には山上から居所を移し明治まで続いたとされます。見学した日の週末には現地説明会が行われたようです。

佐伯城 山上の城郭遺構 登城の道で登り独歩碑の道で下る
 山上の城が稼働していた時には「登城の道」が大手道だったのではないかと想像しました。

佐伯城 西出丸 南面の入口石段 南東下から
 絵図やパンフレットの図を見ると、大手道は写真の石段から西出丸へ入り二の丸を通り廊下橋を渡って本丸に入っていたように見えますね。絵図によると石段を登り切ると門扉があったようです。

佐伯城 西出丸 北東から 西の丸跡の標柱が立つ
 西出丸は周囲が石垣でした。標柱は「西の丸」となっていました。ここから西への眺望は抜群でした。

佐伯城 二の丸虎口  通路は石敷きとなっている 西から
 絵図によると虎口には櫓門が設けられていたようで、現況の虎口石垣の構えも堅固で、石敷きの道も相俟って、大手道がここを通っていたように思いました。

佐伯城 廊下橋 橋下を本丸外曲輪が通る 本丸入口は廊下橋のみ 見どころです
 佐伯城の見どころでもある廊下橋ですが、絵図によると廊下橋のみが本丸への通路だったように見えます。

佐伯城 本丸外曲輪から二の丸への石段 南東から 右上に廊下橋
 絵図によると、写真左側の二の丸南下の大手道から分岐した通路が本丸外曲輪に入る部分には門扉のある門が在りました。さらに本丸外曲輪から二の丸に入る通用口の石段を登ったところにも門が在ったとされます。

佐伯城 本丸外曲輪 左に本丸のしのぎ積の石垣 北西から
 本丸の周囲には本丸外曲輪(帯曲輪)が全周を取り巻いていました本丸は変則的な5角形ですので、一部の石垣はしのぎ積石垣になっていました。

佐伯城 本丸と本丸外曲輪 南から 本丸の石段は無かった!
 絵図によると、本丸の写真の石段は無くて、石垣の上に櫓が描かれていました。石段は絵図が描かれた後の時代の改変の可能性があるようです。当日は山下の幼稚園?の園児たちが元気に登城していました。

佐伯城 本丸 天主台の祭壇 
 本丸の天主台上には、後世の創建と思われる写真の祭壇があり、小社が祀られていました。築城当初は本丸には三層の天主が在ったとされますが、絵図が描かれた時には焼失して、天主台のみが描かれ小社は描かれていませんでした。

佐伯城 北出丸から本丸を見る 石垣の城郭遺構がタップリ
 北出丸から振り返ると、本丸石垣北出丸の門の石垣などが折り重なって見え、見どころでした。写真手前の開口部は若宮八幡宮へ下る道の階段です。

佐伯城 北出丸の若宮神社に下る階段 北下から
 絵図によるとこの階段にも門が設けられていたようです。現在、道は山下の若宮八幡宮へ続いていますが、絵図では北側斜面の水場への道のように描かれ、若宮八幡宮への道は描かれていませんでした。道は省略されたのか往時は無かったのか?です。

佐伯城 北出丸 西から 二層の櫓があった
 絵図によると北出丸の東端部は、二層の櫓が描かれていました。現況は石敷きの面が広がっていて、重要な場所だったのではないかとおもいましたが絵図では触れられていませんでした。

佐伯城 4段の雛壇城石垣 上に本丸外曲輪 北東下から ここも見どころ
 本丸北側の斜面は1734年の風雨で崩落したので4段の石垣を積んで補強したとされますが四年後の1738年に描かれたとされる絵図には見当たりませんでした。

佐伯城は山上の石垣の城郭遺構をパンフレットの絵図等を見ながらジックリ楽しく見学出来、下山時には園児と手を繋いで歩くというハプニングもあり忘れられない城郭見学となりました。
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