八幡平の城は静岡県御前崎市新野にあります。城の呼び方は新野城、新野古城、八幡平城などがあるようですが、ここでは現地案内板にある八幡平の城としました。
八幡平の城は当初現在の本郭にあたる部分だけの単郭の城郭として築かれ、後に二の曲輪が築かれたと伝わります。今川氏の一族の新野氏が築いたとされますが、今見ることのできる遺構は武田氏が高天神城への軍道の抑えとして改修したものと言われます。
今回は『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会編1978、「静岡県 古城めぐり」静岡新聞社刊1984 と 現地案内板を参考資料としました。
八幡平の城 山下の想慈院駐車場に立つ案内板の図を加工・加筆 静岡古城研究会の調査・作図 ※北の方向に注意
想慈院の広い駐車場に駐車して大手登り口から登りました。大手道はハッキリしていないようですが横堀Aを通り本郭の南端部から上がる道ではないかと思いました。図の右側の大きな曲輪は通称二の曲輪とされます。城域が広く、本郭、二の曲輪からのびる尾根ごとに切られている堀切を全部見ましたので一筆書きでは見ることが出来ず、行きつ戻りつで見学時間がずいぶん掛かりました。
八幡平の城 横堀Bと土塁 左手上に横堀A 本曲輪の防禦は二重の横堀と切岸で固めている
本郭の守りは図の下側の篠ケ谷方面に対して厳重だったようで、土塁を伴った横堀が延々と二条築かれていました。土塁は一部が欠損しているようでしたが、往時は連続していただろうと想像しました。
八幡平の城 横堀Bの上段の横堀A 山の地形に沿って土塁を伴った横堀が続いている。切岸も急峻
防御の要は切岸と言いますが、2条の横堀を築くことで急角度の切岸が二段出来ていました。
八幡平の城 図の南尾根13、14の二重堀切 右側上方向に本郭
八幡平の城には尾根を断ち切る二重堀切が4か所あるようですが、現在の見学路からは図の3か所が見られました。13,14は埋まった為か浅い堀切になっていました。
八幡平の城 主郭 城址標柱と表示板が立つ 東西40m南北100mのきれいに削平された平坦面だが周囲に土塁はない
この城の特徴の一つは本郭の周囲に土塁がないことです。元山の地形の関係で土塁が築きにくかったので二条の横堀で対処したのかもしれないと想像しましたが、どうでしょう。後で築かれたとされる二の曲輪にも土塁がありませんので、この地での築城方法の考え方に違いがあったのかもしれませんね。
八幡平の城 城域北端の二重堀切1と2 左方向に二の曲輪
南端部の二重堀切は浅かったのですが、北端部の尾根の二重堀切は2条がクッキリ残っていて感動ものでした。これを見るだけでも来たかいがありました。
図の6,7の二重堀切も負けず劣らずの見事な遺構が残っていて、八幡平の城は二重堀切の宝庫でした。
八幡平の城 図の4 想慈院からの道の途中の小尾根の堀切
想慈院登り口から登ってくる道は篠ケ谷側の山腹を巻くように通されていて堀切4に出ます。二の曲輪への城道はこの道だったかもしれません。本郭と二の曲輪は途中の尾根が堀切6,7,8の三条で断ち切られているので、一体感がないように思えますので城道は別々にあったのかもしれません。
八幡平の城 左:想慈院登り口からの道 右:堀切5 横堀Cに続く
想慈院登り口からの道はここで二手に分かれます。堀切5を抜けると横堀Cの道を通り堀切6,7,8を右上に見る山腹の道が続き、横堀Aに至ります。
八幡平の城は駐車場、案内板、見学路の整備などの条件が良く整っていて、遺構のスケールと残りが素晴らしく、時間はかかりましたが山城見学を堪能出来て大満足でした。