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天王山砦 美濃 木曽川の渡河地点を見下ろす武田氏によって築かれた単郭の拠点

2024-09-17 | 歴史
 天王山砦は岐阜県恵那市武並町藤にあります。明治まで木曽川を渡し船で渡河していた地点を見下ろす軍事拠点として、武田氏の美濃侵攻時に築かれた可能性のある単郭の城郭で、遺構の残存状態は良好でした。今回の参考資料は(1)「信濃をめぐる境目の山城と美濃・飛騨・三河・遠江編」宮坂武男編2015 (2)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第三集」岐阜県教育委員会2004 (3)ひなたGIS 岐阜県CS立体図 などです。
天王山砦 明治の地図には武並橋はなく渡船場の記号が描かれている
 木曽川は、木曽ヒノキなどの材木を流すために邪魔になる橋は作られず、鉄道が敷設され、ダムが作られるようになって橋が作られるようになったようで、明治の地図を見ると、木曽川のあちこちに渡船場の記号が見られます。

天王山砦 掘切や竪堀群が厳重に東に備えている
 東から延びる急峻な尾根の先端部に築かれているため、東側に守りの設備が集中的していました。明確な道は見つけられませんでしたので路肩に駐車して、旧道のa地点から入りました。城域近くの住宅は廃屋となっていました。
※路肩駐車は自己責任です。

天王山砦 図2の中心部 
天王山砦 CS立体図も参考にして見学する
 岐阜県はひなたGIS にCS立体図が載っていますので縄張図と見比べながら見学しました。縄張図には竪堀⑦⑧⑨がありますが、CS立体図では⑦と⑧が不明瞭で⑨は明確ですので、この点にも着目して現地を見ました。

天王山砦 Ⅰ郭 小祠3が祀られている
 Ⅰ郭の周囲には土塁がみあたりませんでした。曲輪内は低い三段の平場になっていましたが、地山の原型を反映しているのかもしれないと思いました。伝承では「戦の時に村人が逃げ込む場所だった」と伝わるようですが、資料では城郭遺構の状況から否定的な見方がされていました。

天王山砦 Ⅰ郭 土坑2 
 Ⅰ郭には土坑1と2の二つがありました。水が出る場所には思えませんので、火を炊いた又はのろし穴かもしれません。

天王山砦 Ⅰ郭 虎口⑤ 石は虎口の石積かも
 Ⅰ郭には⑤と⑥の2か所の2か所に虎口があったとされます。帯曲輪③から登る虎口⑤は坂の両側には石が多数残り、往時の虎口には石積が在ったのではないかと見ましたがどうでしょう。

天王山砦 虎口⑥ 帯曲輪④から 奥上にⅠ郭
 虎口⑥とされる通路は輪郭がハッキリしていなくて不明瞭でした。Ⅰ郭の正式な虎口は⑤だったのではないかと思いました。
天王山砦 帯曲輪③  奥に④ 南から 右上にⅠ郭
 帯曲輪③と一段高い帯曲輪④には段差があり転落石にも見える石が散見できました。

天王山砦 横堀B 左に土塁② 奥にⅠ郭の張出しA 東から
 Ⅰ郭の南辺と東辺下には横堀と土塁が取り巻いていました。Ⅰ郭の張出しAは櫓台とみられ、横堀B、帯曲輪③と虎口⑤に対して横矢の備えだったと思われます。
天王山砦 横堀Bと虎口地形F Ⅰ郭Aから見下ろす ※図2-1 参照
 Fは横堀Bから下段の小平場からの通路の虎口のように見え、Ⅰ郭の張出しAからは打下ろしの位置にあり、重要な場所だった可能性もありそうでした。ヒョットすると今は見出せない城道のがここに入っていたと想像してみましたがどうでしょう。
天王山砦 竪堀Dと虎口地形b 城道アが通っていた 見どころです
 資料(1)では城道は、廃屋のある山下あたりに根小屋があり、道ア→堀切G→竪堀D→虎口b→横堀Ⅽ→横堀B→帯曲輪③と進んで虎口⑤からⅠ郭に入った道を想定していました。

天王山砦 堀切G 手前に平場⑫ 南から
 東尾根を断ち切切っている堀切Gは、少し埋まってはいるものの東尾根からの敵を寄せ付けない役割としては堀幅・深さとも小規模のように思いました。Ⅰ郭の守りの基本は周囲を取り巻く竪堀群と切岸だったのかもしれませんね。

天王山砦 横堀C 左に土塁① 右手にⅠ郭切岸 北から
 Ⅰ郭の東と南側は横堀によって切岸が急角度で高く加工され、堀上げた土が土塁として用いられているようでした。

天王山砦 竪堀⑦ 上から CS立体図では不明瞭
 Ⅰ郭を取り巻く竪堀群の様子から、資料では天王山砦が武田軍によって築かれたと考えられるとしていました。CS立体図で不明瞭だった竪堀⑦でしたが現況では、竪堀⑧も同様に十分に竪堀と認識できる遺構でした。
天王山砦 竪堀⑨ 下から CS立体図で明瞭
 CS立体図で明瞭だった竪堀⑨は少し埋まっているようですが⑦、⑧よりも少し条件の良い遺構でした。
 こうしてみると「CS立体図によって遺構の確認ができるので縄張図は不要になった」という議論があるようですが、現状の精度のCS立体図での山城の城郭遺構表現には限界があるようで、現地確認と縄張図は欠かせないと思いました。

天王山砦 山下の矢五郎神社  ※図1 、2 参照
 地元の伝承によると、戦国末期、付近に村の避難小屋があり、その時に神官が村人によって誤って殺され、その神官をまつるのが弥五郎神社で、今も立派な社殿が見られました。

天王山砦はコンパクトな単郭の山城ですが、遺構の残存状態がとても良好で、見どころも多く、CS立体図との照合も可能で楽しく見学ができてよかったです。