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迫間城 美濃 東を意識した尾根上のコンパクトな城郭 人気のハイク道が通る

2023-10-01 | 歴史

迫間(はさま)城は岐阜県関市迫間にあります。東の猿啄城から西の長山城まで続く約10㎞の尾根上の途中に築かれていました。平安時代に開かれた迫間(はさま)不動尊の修験の場でもあったようで、山下では迫間不動尊の社殿や滝なども見学出来ました。城歴などの詳細は詳らかではないようです。人気のハイク道が尾根上を通っているため、遺構の一部が改変されていましたが、おおむね遺構を確認することが出来ました。今回の参考資料は「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第2集」岐阜県教育委員会2003などです。 ※長山城は→こち


迫間城 同じ尾根上に在る猿啄城と長山城との関連が興味深い
 迫間不動尊は戦国時代のはるか昔に開かれた霊場ですが、今も尾根上に八方遥拝所などが現役で残っていました。迫間城からは西方の約14㎞先に岐阜城が見えましたが、迫間城に狼煙等による情報伝達の役割があったかもしれません。


迫間城 矢印のルートで見学
 山下の道標に「城址近道」とありましたので道標に従って登りました。尾根まで登ると、ハイク道との分岐点Aに出ました。Aから尾根のハイク道を東に進むと分岐点Bに出ました。迫間砦は迫間山の山頂部に築かれていますが、山頂部を回避するハイク道がB-C間に在りました。


迫間砦 東側に守りの備えが厚く西側は守りの要素が少ない
 Ⅰ郭東側の尾根は堀切や竪堀、高低差のある切岸などの備えが厳重ですが、西側は高低差の少ない段々地形でした。分岐点Bから山頂を迂回するアのハイク道がありました。道aから虎口を通りⅠ郭に至る道を城道と想定しました。


迫間砦 平場⑨から平場⑧を見る ハイク道の整備がされている
 小平場⑨から⑧への道は山頂へのハイク道ともなっていますので、階段などの整備が行われていました。曲輪としてみた場合の切岸は高低差が少なく輪郭がやや不明瞭と思いました。ハイク道は⑧→Ⅲ→Ⅱ→Ⅰの直進ルートになっていました。


迫間砦 平場⑧ Ⅲ郭南下部分 西から 左上にⅢ郭
 城道aは平場⑧を通って虎口⑦から平場⑥へ入っていたと想定しました。平場⑧のはブッシュで覆われた部分が多く写真では不鮮明ですね。


迫間砦 虎口⑦ 南西から
 平場⑧から虎口⑦を通って平場⑥へ登る道を想定しました。各平場の段差が少なくブッシュが多く、遺構の輪郭は明確ではありませんので、かろうじて遺構の形を確認する状態でした。


迫間砦 Ⅰ郭に建つ城址標柱
 Ⅰ郭に土塁等は見当たりませんが、猿啄城から長山城への尾根道を縦走するハイク客に人気のコースの様で、ベンチなどが設けられていました。改めて写真を見ると【禁 伐採 日陰木用】の看板がありますね。


迫間砦 Ⅰ郭から約14㎞先の岐阜城が見える
 Ⅰ郭から西に約14㎞の岐阜城が見えました。時代によっては、ノロシで岐阜城へ情報を送ったこともあるのかもしれないと勝手な想像をしてみましたがどうでしょう。


迫間砦 Ⅱ郭からⅠ郭を見る
 Ⅰ郭とⅡ郭の切岸は段差が少なく、輪郭も曖昧でした。この切岸には守りの働きはほとんどない様に思いました。


迫間砦 Ⅰ郭北側の平場② 東から
 細長い折れを伴う平場②はブッシュ漕ぎ状態でした。高い樹木がなくて日当たりも良くてブッシュがよく育つのでしょう。Ⅰ郭との切岸の高低差はややありました。


迫間砦 平場③からⅠ郭を見上げる 途中に平場②と①がある
 ハイク道で階段が整備されていましたが、平場③からⅠ郭までの高低差は大きく「見上げる」状態でした。


迫間砦 竪堀④ 上から
 平場③から竪堀④が切れ落ちていました。ブッシュで見難いですが幅・深さ・長さ共に大きめで、東からの回り込みへの備えに気を配っていたのが感じられました。


迫間砦 堀切⑤ 北から
 東尾根を断ち切る堀切⑤は尾根の両側に切れ落ちる堅固な堀切でした。竪堀④と相まって東尾根への警戒感が感じられました。
 

迫間砦 堀切⑤の土橋 北から ハイク道の整備か
 堀切⑤の中央部には写真のような幅広の土橋がありました。この土橋は城郭遺構ではなくてハイク道の整備で造られたものだと解釈しました。


迫間砦 奥の院の滝
 城域から尾根のハイク道イを東に進み八方拝殿などの宗教施設や石造物をいくつも見ながら階段を下りました。山下では、細いけれども落差のある「奥の院の滝」を見ることが出来ました。

迫間城は尾根上に築かれた東側を意識したコンパクトな城郭でしたがⅠ郭からの眺望は素晴らしく、見学ルート上のいくつもの石造物や拝殿、滝なども楽しめて良かったです。