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大給城 三河その2 岩山に築かれた多数の遺構が完存する大規模な山城を徹底見学する

2023-06-17 | 歴史

大給(おぎゅう)城は愛知県豊田市大内町にあり松平氏の一族が城主と伝えられています。その1に続いて、興味深い遺構のⅠ郭(主郭)、Ⅱ郭、Ⅳ郭を見学したいと思います。今回の参考資料も (1)「豊田の中世城館」愛知中世城郭研究会1992  (2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994 (3)「愛知の山城ベスト50を歩く」愛知中世城郭研究会・中井均編2010 (4)   浅野文庫「諸国古城之図   三河加茂 大給」広島市立中央図書館所蔵 などです。※大給城その1は→こちら       「諸国古城之図   三河加茂 大給」 は  大給城その1 をご覧ください


大給城その2では、Ⅰ郭(主郭) Ⅱ郭 Ⅳ郭を中心に見学します。


大給城 現地案内板の縄張図を切り出す
 Ⅳ郭虎口CからⅣ郭、通路22と通り平場24からⅡ郭へ通路27で入りました。Ⅱ郭とⅠ郭を仕切る石塁Pは石垣が巻いたL字型の特徴ある遺構でした。Ⅰ郭はⅡ郭よりも低いのに主郭とされるのがとても興味深いです。


大給城 虎口C西側の櫓台9 東辺の石垣   東から
 Ⅳ郭の虎口Cの通路は食い違っていて櫓台8と9で両側からから見下ろされていました。虎口両側の櫓台は両方とも石垣が積まれていました。大給城は岩山ですが、石垣を積むのに手ごろな大きさの石を集めるのは大変だっただろうなぁ などと考えてしまいました。
 

大給城 Ⅳ郭南辺の土塁11 右にⅣ郭   東から 奥上にⅡ郭
 Ⅳ郭は東辺と南辺に土塁が設けられていました。土塁11の南下には腰曲輪20があるので、7から20に回り込んでの侵入に備えたと思われます。


大給城 L字型石塁P Ⅰ郭とⅡ郭を仕切っている 右側のⅠ郭が低い 見どころです
 Ⅳ郭から22、23、24、27と通ってⅡ郭へ入ります。24は西側が石垣で突き当りとなっていて南の27に進みました。Ⅱ郭とⅠ郭(主郭)を仕切るL字型の石塁は大給城独特の遺構で見どころでした。資料によると主郭が一段低いことによってⅡ郭から見下ろせるので石塁Pを築き、その上に塀を設けて見下ろすことが出来ないようにしていたのであろうとされます。Ⅱ郭は岩盤ですので削り取ってⅠ郭よりも低くすることはムリだったのではないかと想像しましたがどうでしょう。


大給城 Ⅱ郭 西から  奥の東辺に低土塁 
 写真のように、Ⅱ郭は岩盤に薄く土が乗った地形でした。岩山に築かれた大給城は露頭する岩を避けながら地形を利用して築かれているのがわかりました。絵図にも「大石有」と書き込まれていました。


大給城 Ⅱ郭 東辺土塁15 西から 右にハイク道
 Ⅱ郭の東辺には低土塁15が在りました。風化で低くなったようにも見える土塁でした。土塁15の南側からⅣ郭の南辺土塁11に降りる通路が在りましたが、近年のハイク道のようでした。


大給城 Ⅱ郭 南側の通路?の石垣36 南西から  ここも見どころ
 Ⅱ郭の南側には特徴ある石垣36が築かれていました。Ⅱ郭の平場を確保するための石垣かもしれません。現況では細い通路が石垣に沿って在りましたが後世のものかもしれないと思いました。
 

大給城 Ⅰ郭 城趾碑と東屋 大岩の露頭が目立つ
 Ⅰ郭は大岩の露頭が目立ちますが、それ以外の面は丁寧に削平され北辺の切岸には高石垣が築かれていました。Ⅰ郭の絵図にも「大岩有」と記されていました。Ⅰ郭、Ⅱ郭、Ⅳ郭は現況と絵図と一致する部分が多かったです。


大給城 物見岩 Ⅰ郭から 天気が良いと名古屋、関ケ原、鈴鹿の山並みも見える
 写真の手すりがある大岩が物見岩と言われる有名な大岩です。Ⅰ郭の方が高い位置にあり見晴らしもよいので実際にはどうだったのかなと少し疑問がわきましたがどうでしょう。絵図には岩盤が描かれていますが、特段の表示はありません。
 

大給城 Ⅰ郭 北辺の石垣K 北東隅の下から 見どころです  奥に崩落地形
 Ⅰ郭の北辺には高さが4mを測るような立派な石垣が築かれていました。石垣だらけの大給城でしたが、この石垣は別格の見どころでした。現況はコケに覆われ、一部が崩落していましたが、完成時には見事な姿だっただろうなと想像しました。


大給城 Ⅰ郭 北辺 石垣の崩落地形 東から
 Ⅰ郭の北辺石垣Kの一部に崩落が見られました。崩落した土砂は腰曲輪26に落ちていました。絵図には崩落が描かれていませんでしたが、絵図が描かれた後に崩落したのか、絵図ではデフォルメされたのか不明でした。
 

大給城 Ⅰ郭 南側下の虎口L 南下から 平場29と30の間に築かれている
 Ⅰ郭の南東角の虎口を出て平場29、平場30と下る途中に直角に折れる虎口が在りました。虎口の両側は全面的に石垣が積まれていたようですが、今は一部が崩落し残存部分もコケや雑草で覆われて、注意深く見ないと見落としてしまいそうでした。絵図には通路が描かれていますが現況と一致とは言い難い状態でした。


大給城 虎口Lの石垣  南から
 虎口Lの残存する石垣は雑草とコケで覆われて、近づいてみても確認が難しいような現況でした。大給城は石垣だらけで、ほとんどの虎口や堀切、土塁、通路には石垣が積まれ、残存状態も良好でした。

◆その2までで見学出来た遺構はまだ50%に達していません。 その3以降に続きます。※その1は→こちら