祐向山(いこうやま)城は岐阜県本巣市法林寺にあります。城主・城歴は明確ではないようですが所在する旧地名は本巣町文珠と岐阜市奥にまたがっていました。付近には掛洞城や法林寺城があり関連を探ってみたいと思います。今回の資料は (1)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第1集」岐阜県教育委員会2002 (2)「岐阜の山城ベスト50を歩く」三宅唯美、中井 均編2010 などです。※掛洞城は→こちら
祐向山城 周辺の山城の最高所に祐向山城はある
文殊の森公園として整備され山口城、法林寺城、祐向山城を巡るハイク道があり、祐向山城と掛洞城は尾根道で連絡されています。今回は北東側の奥地区から登り掛洞城経由で祐向山城を見学します。※掛洞城は→こちら
祐向山城 掛洞城から尾根道をたどり祐向山城へ
文殊の森公園は人気のハイキングコースのようで、ハイク道は踏跡がしっかりついていました。城址はいわゆる単郭のシンプルなものでした。
祐向山城 掛洞城からの尾根道をたどり東下から平場③を見る
主郭Ⅰの南東尾根にはいくつかの城郭遺構の平場が在りました。平場③は南東尾根の城址遺構の先端部にあたりますが、シダが繁茂して地表面や遺構の輪郭が明確には見えませんでした。
祐向山城 地形④ この辺りにも複数の遺構があるようだがブッシュで確認が難しい 東から
資料の図によると、④の辺りに遺構が複数あるはずですが現地はブッシュで地表面が見えず、残念ながらはっきりとは確認できませんでした。
祐向山城 小平場⑤ 南から 左上にⅠ郭
資料の図に描かれていましたので見学出来ましたが、見落としてしまいそうな不明瞭な小平場でした。
祐向山城 主郭Ⅰ 曲輪面は丁寧に削平されている
Ⅰ郭の削平面はほぼ円形の平場で、ハイカーの訪れが多いためか多くの部分が踏み固められていました。
祐向山城 主郭Ⅰ 西側の土塁 残欠か
Ⅰ郭の西側には土塁がありました。現況は少し崩れた残欠土塁かもしれません。堀切と併せて西尾根への備えだったのではないかと思いました。
祐向山城 主郭から堀切①を見下ろす 堀切中央に土橋
主郭Ⅰの西側には土橋のある堀切①が設けられていました。その西側の堀切②までの尾根はほぼ自然地形に見えました。
祐向山城 堀切②と土橋 南東から
堀切①は幅広でしたが浅いものでした。堀切の西側には写真の様に掘り上げた土で出来たと思われる土塁状の地形があり土橋が折れていました。
祐向山城 堀切①から主郭を見上げる 手前に折れを伴った土橋 見どころです!
祐向山城はシンプルな構造の山城ですので、西側尾根からの侵入に備えた堀切①と堀切②が見どころでした。※堀切り2の表示板がある。
祐向山城 西尾根の地形 東から
堀切①と②の間の尾根は長い平面地形ですが、自然地形の様に見えました。ハイク道の踏跡がしっかりついていますね。
祐向山城 堀切②と土橋 西から 折れを伴う土橋が見どころ!
堀切①の西尾根の西側には堀切②がありました。こちらも堀切①同様に幅広のわりに浅い堀切でした。堀切②は折れを伴う土橋で渡るようになっていて、いかにも城郭遺構らしくて見どころでした。※堀切り1の表示板がある。ハイク道の順路から見るとこちら側の堀切が1ということですね。
祐向山城 堀切② 南から
堀切②は浅くて広い遺構が残っていました。堀切は風化で埋まっているかもしれませんが浅いものでした。
祐向山城は西側尾根に幅広の二条の堀切や主郭Ⅰの西側土塁が在り厳重な備えになっていましたが、東尾根には平場が何段かあるものの、積極的な防御施設らしい遺構が見当たりませんでした。東側には規模の大きい掛洞城がありますので、祐向山城は西側の山口氏の勢力とは別の勢力が築いた掛洞城の出城的な役割だったのかもしれないと思いましたがどうでしょう。祐向山城は二つの勢力の境目に築かれた山城の可能性を考えながら楽しく見学できて良かったです。