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猪飼城 伊勢 単郭小規模 シンプルな集落の城 耕作地化との関連は

2023-04-01 | 歴史

猪飼城は三重県桑名市多度町北猪飼にあります。小規模な村の城で、城主・城歴は不詳の様のようです。主郭や腰曲輪には石垣が見られますが、後世に積まれた可能性もあるようにみrました。今回の参考資料は 「再発見 北伊勢国の城」伊藤徳也著2008 などです。


猪飼城 付近には同様の小規模な小山城がある
 集落と直結した「村の城」と考えられる猪飼城は、肱江川に突き出した集落近くの尾根の先端部に築かれ、後世に耕作地として利用された可能性がありそうでした。


猪飼城 南からの全景
 城は集落北側の尾根先端部に築かれていますが、現在は城址主郭部への道が尾根の東西に2本あり、城道の断定は難しいようです。


猪飼城 自然地形の谷Aを後方の守りとし、南側の守りは切岸のみ?
 後世の耕作地化による改変が考えられるので、Ⅰ郭の周囲に土塁がなかったとは断定することは難しそうでした。道はa またはbが見られますが、城道か農道かは資料でも断定していませんでした。東側の林道は軽トラが通れるレベルでしたので近年のものだろうと思います。


猪飼城 東側の林道 南から
 Ⅰ郭に通じる道はaとbがありますが、今回は林道の適当な場所からⅠ郭に向ってエィヤッ!で登りaに出ました。


猪飼城 平場10の石垣11  南から
 林道から登ると、城域南東の細尾根先端部に一段下がって平場10があり切岸に石垣がありました。石の表面を見ると新鮮でしたので、後世の耕作地化に関連した石垣かもしれませんね。


猪飼城 小平場10 北西上から
 往時の腰曲輪かもしれませんが、今は竹が侵食していました。少し前までは耕作地だったようにも見えました。


猪飼城 Ⅰ郭南東隅の溝地形9 北西から
 Ⅰ郭の南東隅の先端部分には溝地形9がありました。道aとの関連から、城道の跡とも見えますがどうでしょう。


猪飼城 Ⅰ郭 南から     果樹園跡?   意外に広い!
 Ⅰ郭は広い平坦な平場で、後世の耕作地化が伺われました。果樹園としての利用もあったのか、果樹が少し残っていました。耕作地化に伴って周囲の土塁が削り取られる場合も多いですが、猪飼城の場合はどうでしょう。


猪飼城 Ⅰ郭東辺北部の土塁開口部3 東から 左手に土塁地形4
 Ⅰ郭の一部に土塁地形が残されていました。開口部3は虎口の様に見えますが周囲の状況から、後世の通路かもしれません。


猪飼城 Ⅰ郭 北端部の土壇1 手前に平場8 南から
 猪飼城の北側は尾根の自然地形Aが堀切の役割となって、北側を遮断していました。土壇1はⅠ郭の最高所で、資料では櫓等の施設が在った可能性を記していました。


猪飼城 Ⅰ郭 北西隅 L字型土塁2  東端部    南東から
 Ⅰ郭には土塁地形2と4が有りました。耕作地化で削り残された部分か、往時の姿なのかは表面観察では確認できませんでした。


猪飼城 Ⅰ郭東辺の石垣5 南から
 Ⅰ郭の周囲には部分的に石垣が見られました。石垣5もその一部ですが、表面の新鮮さから見ると、新しく積まれたもののように見えました。耕作地化に伴って土留めの石垣が積まれた遠江佐久間城などの例から、地元の聞き取りで判明するかもしれませんね。 ※佐久間城は→こちら


猪飼城 Ⅰ郭西辺の石垣6と小平場7     南から
 Ⅰ郭の西辺にも石垣がありました。これも新しいものかもしれません。石垣の根元に細い平場が在りましたが、曲輪というよりも石垣を積むときに生じた平場地形のようでした。


猪飼城 Ⅰ郭南辺の横矢地形?   西から
 Ⅰ郭の南辺には横矢地形がありました。意図的に作られた横矢というよりも、地山の自然地形の可能性が強そうに見えました。

猪飼城は集落に近いので、主郭の平場が後世に耕作地として利用された可能性があり、改変を受けたと思われる部分もありましたが、おおむね基本構造が残されていました。石垣などの築造時期などを想像しながら楽しく見学出来て良かったです。※林道入口付近の道路余地に駐車しましたが、駐車は自己責任で!