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小川城 遠江 その2 伝承の城郭が静岡古城研究会によって発見された!

2023-01-06 | 歴史

小川城は静岡県浜松市天竜区佐久間町大井字鮎釣にあります。その1では城址を通る道aを想定して見学しましたが、その2では小川城の城郭遺構も見てゆきたいと思います。小川城は地山が石の山で、そのために制約も多かったと思われますが、水窪川に沿った南北の街道や地域を結ぶ東西の道を抑える重要な拠点だったと思われます。その1も参照しながらその2をご覧ください。今回の参考資料は「静岡県の城跡 中世城郭縄張図集成(西部・遠江国版)静岡古城研究会2022 です。小川城その1は→こちら


小川城 堀切Aと堀切Bの間が城域か 横堀状地形⑧も城域だったか
 発見された小川城の城域は堀切Aと堀切Bの間ではないかと思いましたが、資料には堀底道⑧にも軍事的な意味合いがあったと記されていました。道aは主郭Ⅰを迂回していますがⅡ郭は地形的に避けて通ることが出来ず図3右端の道aとa2はいずれも可能性がありそうでした。


小川城 幅9m 深さ4mの大堀切A 南から 右上にⅠ郭
 小川城の地山は岩山のようですので堀切を設けるには岩盤を穿つ難工事が行われてものと想像しました。写真でも岩石の破片が見えていますね。


小川城 Ⅰ郭西側の虎口⑤ 大堀切Aから土塁①を迂回してⅠ郭に入る
 Ⅰ郭の西側の虎口は南側を土塁①で塞ぎ北側は切岸で遮断する形でした。踏跡から見ると道aは北側の切岸下を通っていたようでした。


小川城 Ⅰ郭 西辺の土塁①  北から 手前に虎口⑤が回り込む
 城域を区切る大堀切Aを見下ろす場所に土塁⑤は位置し、虎口⑤を守る形でした。


小川城 Ⅰ郭  奥に土塁①   南東から
 Ⅰ郭は資料によれば東西30m南北18mで、丁寧に削平された曲輪でした。岩盤を削ってというよりも平らな自然地形を利用したのかもしれません。


小川城 平場③   東から Ⅰ郭の腰曲輪と見ることが出来る
 Ⅰ郭の東下には平場③がありました。写真の様に平坦な曲輪で、自然地形とは言い難い地形ですね。岩盤を削って削平したとすれば、大堀切Aよりも難儀な工事だったのではないかと思いました。


小川城 小平場④ 道aはここから平場③に上がり東進する
 とてもわかり難い小平場ですがⅠ郭の北側を迂回し、写真奥から来た道aはここから一段高い平場③へ上がっていたようでした。


小川城 堀切B 北東から 右手にⅡ郭切岸 見どころです!
 Ⅱ郭の東端部には堀切Bがありました。写真の様にⅡ郭の東端部の切岸は削り取られた岩盤が切り立っていました。


小川城 Ⅱ郭東端  岩盤の切岸 道は⑥か
 Ⅱ郭の南北両サイドは切り立った崖で道はありませんでした。唯一 道の可能性があるのは⑥の岩盤でした。資料によると往時は梯子がないと登れないような切り立った切岸だったとされます。現在はその後の加工があったらしく、四つん這いで登れば何とか登れる状態でした。


小川城 堀切Bの北側部分 竪堀で切れ落ちている
 堀切Bの北側は岩盤が掘り込まれて竪堀になって落ちていました。両サイドは岩盤の崖ですので竪堀は無くても守りは十分ではないかと思いました。


小川城  平場⑦   東から     奥にⅡ郭 自然地形か
 道aは堀切Bの難所⑥を越して尾根の平場⑦を通ります。平場と言っても、ほとんど人の手が加えられていない細尾根のようでもありました。 


小川城 平場⑦東端部の段差  東から
 堀切Bの外側ですので平場⑦は城域外かもしれませんが、その東端部には岩尾根がむき出しになった段差がありました。道aもここを通る以外に道はありませんでした。平場⑦以東は堀底道⑧を通り尾根道を進みます。※小川城その1参照

小川城は地域に割拠した小土豪が周囲の街道と地道を抑える役割があったのではないかと思い道aを想定して見学しました。往時の道か、後世の道かは判別困難でしたが、不鮮明ながら城趾のある尾根を通る道aのおよその姿を想像を交えて見ることが出来良かったです。