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大平城 美濃 新発見の山城 武田軍の東濃侵入に備えたのろし場か

2022-07-17 | 歴史

大平(おおだいら)城は岐阜県恵那市上矢作町大平にあります。大平城の名前の城址はアチラコチラにありますのでCS立体図による新発見として上矢作大平城とされたようです。現地は福寿草の原生地として知られている場所のようで、その案内板が立ち案内図中には「岩村藩取手のろし山地」が描かれていました。案内板は以前から立てられていたようなので、果たして「岩村藩取手のろし山地」は今回の新発見とされる大平城のことを指すのか?興味津々の見学でした。
 今回の参考資料は (1)報告書『恵那市の新発見城館跡』恵那市教育委員会2022 と (2)現地「福寿の里原生地案内図」などです。


大平城 平谷方面からの侵入に備えた物見とのろし場のだったのか
 武田軍の東美濃侵入に備えて前田砦を防衛の一つの拠点としていた遠山勢が、平谷方面からの侵入を監視し、侵入のノロシを上げるために設けた最前線の場所が大平城だったのかもしれないと想像しました。現地案内板によれば福寿草と武田軍を結びつける伝承もあるようでした。カシミール3Dの「見通し」機能で確認すると図1のA地点を中継点にすれば大平城と前田砦が連絡できるようでした。 
 ※前田砦その1は→こちら  その2は→こちら


大平城 国道418号線からの分岐点に立つ福寿草の原生地案内図
 大平城は上矢作から平谷に抜ける国道418号線から矢作川(上村川)を渡ります。その分岐点には案内図が立っていました。この図には「岩村藩取手のろし山地」が描かれ、地元の伝承ではのろし山があったと伝承されているようでした。デフォルメされた図ですので正確にはわかりませんが、のろし場が大平城にあたる可能性がありそうでした。


大平城 山麓部には害獣フェンスが張り巡らされている
 福寿草の季節には見物客で賑わうのでしょう、駐車場が設けられていました。耕作地を守る害獣フェンスが山麓には張り巡らされていましたので、入り口のゲートを探して迂回しました。ゲートからはaのルートで登り、帰路はbのルートをたどりました。


大平城 山下の駐車場から大平城を見る
 山麓部には耕作地がありましたが、往時からあったかどうか?でした。


大平城 Ⅰ、Ⅱ郭の中央部に仕切り土塁⑧がある  単なるのろし場としては規模が大きい
 Ⅰ郭とⅡ郭の中央部には低い仕切り土塁⑧がありますが2つの郭を合わせると50m×25mを越える広さがあり居住が可能な規模の平場となっていました。南東からの尾根の先端部に築かれていますが南東の尾根以外は急峻な斜面で囲まれていました。


大平城 竪堀①と堀切②  南西下から
 南東尾根は堀切②で断ち切っていました。竪堀①はルートaからの城道の一部のようにもみえました。


大平城 平場③と④ 奥上にⅠ郭  切岸は不明瞭
 Ⅰ郭南東部の平場③と④の平場と切岸はやや不明瞭でした。平場④からは虎口地形の通路⑤でⅠ郭に入るようになっていました。


大平城 Ⅰ郭 南東から 奥に仕切り土塁⑧ 土塁⑧の左にⅡ郭への通路が見える
 Ⅰ郭は30m×25mほどの平場で丁寧に削平されており北西部にはⅡ郭との仕切り土塁⑧が設けられていました。仕切り土塁⑧は、風化のためもあってか輪郭が不明確な低いものでした。付近にはテレビアンテナの残骸やケーブルが見られました。


大平城 仕切り土塁⑧ 北東から断面を見る 左にⅠ郭、右にⅡ郭
 Ⅰ郭とⅡ郭を区切る仕切り土塁⑧は低いものでした。Ⅱ郭はⅠ郭よりも少し低いように見えました。


大平城 Ⅰ郭南東部の低土塁⑥  南西から
 Ⅰ郭の低土塁⑥は資料(1)の解説がないと見落としてしまいそうな風化が進んだ低いものでした。往時は堀切②や平場③、④などと併せて南東尾根方面の防御施設になっていたのではないかと思いましたがどうでしょう。


大平城 風化の進んだ竪堀⑦ 北東上から
 竪堀⑦と仕切り土塁⑧で形作られた通路はⅠ郭の虎口だったのかもしれませんね。


大平城 腰曲輪⑨ 北東から
 Ⅱ郭北西下には腰曲輪⑨がありました。北側斜面や尾根筋Cは急峻で侵入が難しそうな地形ですが、腰曲輪⑨によってⅡ郭の切岸を作り出し、守りを厳重にしたとも見えました。


大平城 北側の斜面は45度の急斜面
 大平城の北、東、西は急峻で、這って登る急角度でこちら側に城道はなかったと思われます。


大平城 西側斜面にはテレビアンテナのケーブルが残る
 ケーブルテレビやインターネットの光回線がなかった時代の山間部では、自力または共同で付近の山頂にテレビアンテナを立て、山下の住宅までケーブルを引いてテレビを見ましたが、ここでもその痕跡のケーブルが見られました。帰路は西側斜面のルートbをたどりましたが、こちら側も急角度で、道はなかったと思いました。


大平 不動の滝 上村川に落差40mの滝が落ちる
 大平に至る国道418号線の途中から、対岸の大平 不動の滝を見ることが出来ます。夏場は樹木に遮られて見にくい状態すが、福寿草が咲く頃にはもっと見やすくなっているのではと想像しました。現地案内図にも描かれていました。

大平城はのろし場の伝承地として付近の住民には知られていた場所だと思われますが、今回CS立体図による調査をきっかけに確認され、新発見として報告された城郭でした。単なるのろし場としては規模が大きく、居住の可能性も十分に考えられる規模の遺構で興味深く見学でき良かったです。福寿草の咲く頃にもう一度訪れてみたい城郭でした。