城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

峯山砦 三河 「山城歩きガイド」の古道を辿り砦からの絶景を楽しむ

2022-07-07 | 歴史

峯山砦は豊田市押山町字峯山にあります。付近の押山城、川手城などとの関連も考えられていますが、三河から伊那谷への主要な街道である飯田街道と並行して峯山を通る戦国期以前からの古道があったようですので、峯山砦は古道を抑えていた峯山の土豪太田氏の小規模な詰城を兼ねた物見台的なものだったのではないかと想像しました。 
 今回は、押山から峯山の集落への古道に関しては (1)「山城歩きガイド」稲武観光協会発行2022 を、戦国期以前からあったとされる飯田街道に並行した古道に関しては (2)「中部地方の古道 ”武将も通った”」発行 中根洋治2021を、押山と峯山の情報は (3)地元のホームページ「押山サイト」などを参考資料としています。
    ※当ブログの押山城は→こちら   地元ホームページ押山サイト」は→こちら


峯山砦 古道は →D→B→C→で根羽村方面に向かっていた
 飯田街道は武節城と武節古城の間を通って根羽村方面に向かっていましたが峯山を通る古道は図2の→D→B→C→のルートでした。明治の地図にはa地点で川を渡る道はなく名倉川の川沿いの新しい車の道になっていました。資料(2)で飯田街道と並行する古道D が示されていましたので、a地点で歩く道が消える謎が解決しました。なお古道Cは「大野瀬の子持ち桂」へ向かう歩く道で、(3)地元ホームページ押山サイト」内の太田氏の動向に関する記述にも出てきますので、押山サイトもぜひ御覧ください。


峯山砦 峯山砦は押山の山頂に所在し押山城は北西1kmにある  ※図1は稲武稲武観光協会の許可を得て掲載
 北側山下の押山から峯山へ現在は車の道が敷設されていますが、以前は峯山の小学生は山下の小学校まで比高約400mを古道を通って通学していたそうです。「山城歩きガイド」の押山古道はその中間点の駐車スペースからの道でした。今回は古道を歩くのも目的の一つですので古道を歩きましたが以前訪れたときには峯山砦近くまで車で行きました。


峯山砦 薬研道の古道Aを歩く 北下から 
 古道は時代とともにルートが少しずつ変わっていいるようでしたが、概ね現在のルート付近を通っていたようです。古道の周囲の所々には平場があり、山城歩きガイドには一部が畑址として紹介されていました。


峯山砦 古道Aと旧古道の分岐点 今は使われていない旧古道が所々にある
  山城歩きガイドに注意書きのある旧古道の分岐点がところどころにありました。山仕事の道や山畑への道などもあったようなので案内看板に従って進みました。案内看板には比高400mを小学生が通学したとありましたが、小学一年生でもここを通ったことでしょうから、途中の駐車場からだけでも息を切らしているのが恥ずかしい思いでした。


峯山砦 古道Aを歩く 道端には山アジサイ
 山城歩きガイドにも山アジサイと紹介されていますが、訪れたときには満開で歓迎されている気分でした。


峯山砦 古道から林道へ出る分岐点に山頂案内看板が立つ
 案内看板にはMt、押山 380Mとありました。ハイカーにとっては押山ですが城巡りでは峯山砦ですね。


峯山砦 林道の駐車スペースに立つ案内看板  基本Welcomeです!
 古道Aから林道に出ると途中の林道脇に駐車スペースがありました。よく見かける「駐車No!」の看板ではなくて「駐車OK!」の看板でした。地元ホームページの押山サイトでも感じられることですが地元の方のWelcomeの思いが感じられてホッとしますね。


峯山砦 多数の石神仏が祀られる山頂の平場
 山城歩きガイドでは峯山砦は狼煙場址となっていましたが、往時の利用形態は不明と言えそうです。押山の峯山砦と名付けられた山頂部の平場に現在は城郭遺構は見当たらず、後の世に祀られた石神仏群がありました。


峯山砦 山頂平場に立つ峯山砦跡と押山の表示板    奥の小平場にパノラマ看板
 押山の山頂部には石神仏が祀られる大きな平場とパノラマ看板が設置された小さな平場がありました。どちらも自然地形に近く、城郭遺構とは見えませんでした。


峯山砦 パノラマ看板が設置された小平場からの絶景が スバラシイ!
 峯山砦は四方が見渡せる場所ですが、特に西と北の方向の眺望が素晴らしかったです。季節と時間によっては雲海が見られ、雪を冠った御嶽山も見えるようです。詳しくは地元ホームページの押山サイトにて御覧ください。北西の眼下に押山城を見下ろすことができ、峯山砦との大きな高低差に驚きました。矢作川を挟んで隣国美濃の上矢作地区も一望でき物見台の役割も果たせそうな場所でした。


峯山砦  摩利支天社 左に峰山祖先之碑
 摩利支天が祀られている摩利支天社の場所がわからなかったので、たまたまお見かけした御婦人にお聞きしてお参りすることが出来ました(図3参照)。摩利支天は太田氏が篤く信仰したとされ、太田氏を顕彰する峰山祖先之碑が隣接して建てられていました。戦に敗れた太田氏は信濃に落ち延び、後に峯山に還り帰農したと伝わります。


峯山砦 古道Bが257号に出たa地点 古道はここから名倉川を渡り古道Dとなる
 峯山から南に下った古道Bがどこに向かっていたかが謎でしたが、資料(2)でa地点で名倉川を渡ったとされていましたので謎が解けました。名倉川を渡って古道Dは東の駒山へ向かっていました。

今回は古道を辿って峯山砦を訪れるというのが見学の主な目的でしたが、摩利支天社の場所を知り、古道の成り立ちと道筋も確認できとても充実した有意義な見学ができ良かったです。

「山城歩きガイド」は武節城近くの「道の駅 どんぐりの里いなぶ」の観光案内所に置かれていますので峯山砦、押山城、川手城を訪れる際は事前に入手されると良いと思います。