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三河 五葉城 その4 諸国古城之図の「七曲坂大手口」と道を探す

2022-05-15 | 歴史

五葉城は愛知県新城市富岡にあります。五葉城その1~3では堀切部五葉城本丸高城砦を見てきましたが、その4では「諸国古城之図 」に書き込まれている「七曲坂大手口」と大手口の道を探してみたいと思います。
 今回の参考資料は五葉城その1~3と同様 (1)「城」第149号 東海古城研究会1993    (2)「愛知県中世城館跡調査報告3」愛知県教育委員会1997 と 浅野文庫「諸国古城之図」「三河八名 五葉」広島市立図書館所蔵の絵図です。 ※「諸国古城之図  三河八名 五葉」は その1 でご覧ください。


五葉城 旧地図に載る七曲大手口の道候補の山道は3本ある
 絵図によると「七曲坂大手口」と書き込まれた道は図1の西に伸びる尾根(物見台)の方向でした。この方向の古い山道は旧地図上で見るとA、B、Cの3本が有りました。旧地図では豊川用水路、大原調整池(五葉湖)もまだ無く、採石も行われていない状態ですね。


五葉城 実際に歩いた道は5本 現行国土地図に重ね合わせ
 資料(1)、(2)で道は具体的には示されていませんでしたので、旧地図の山道が往時の道を示しているとは限りませんが、現行地図と比較しGPSとにらめっこしながら二日がかりで体力の限界を感じながら道を探して歩きました。


五葉城 道A 北から 今は途中 土塁aを乗り越えて直進するハイク道 
 図2の道Eは近年の林道で、五葉湖から五葉城へのメインのハイク道になっています。道Aは分岐点の物見台(五葉山)から北に伸びる長い尾根で、五葉湖の駐車場から歩き、途中から尾根を南に登りました。途中のaでは土塁地形を乗り越え直進するハイク道となっていましたが道Aに「七曲坂」の印象はありませんでした。
 

五葉城 道C1途中の小規模な採石場跡
 道Cは旧西郷村からの道で、七曲坂大手口道の有力候補でした。日吉神社から豊川用水路を宮上橋で渡ってC1を登りました。途中小規模な採石場跡の脇を通りました。道の踏跡は殆どないのでGPSと地図を頼りに登りました。


五葉城 道C途中の大規模な採石場   道は消滅しているのでC2を迂回
 道Cは途中から大規模な採石場となり旧地図の道は消滅していましたので迂回してC2を通って物見台(五葉山)に進みました。旧地図によると写真のあたりに一つのピークがあったようですが、今は掘り下げられて消滅していました。


五葉城 奥に物見台(五葉山) 手前に鉄塔  南から
 道C2を登り切ると五葉山の山頂部で資料(1)で物見台と命名されたピークに出ました。
道Cは五葉城と西郷村を結ぶ道として「七曲坂大手口の道」として有力ですが、途中が大規模な採石場で削り取られて七曲坂の確認が困難でした。 ※道C1は踏跡が殆どありませんでした


五葉城 道D 絵図で「ホリキリ」とされる    道だったか、自然地形か
 道Dは、高城砦と堀切部の尾根の中間から中山集落へ下る、絵図では「ホリキリ」と書き込まれている谷合の部分です。たしかに堀切のように見えますが、人の手が加わっているかどうか?でした。


五葉城 道D 「ホリキリ」は自然地形の谷合か
 道Dの堀底を下ると、堀切というよりも自然地形の「沢」の地形になりました。絵図で「ホリキリ」と書き込まれた沢地形は他にも何箇所かありますので、城域近くの沢地形は自然地形であっても堀切と称しているのかもしれないと想像しましたがどうでしょう。※道Dは踏跡がほぼありませんが、途中に炭焼窯の跡が二箇所並んで残っていました。


五葉城 地形a 七曲坂大手口か
 道Bは道Aの通る尾根まで登り切ると虎口地形aがあります。道Aを登ってくると土塁bを乗り越え、堀切Cを横切って直進するハイク道がありましたが、道Bは堀切Cの堀底を通る折れる道になっていました。
 ※道Bを送電線鉄塔の保守道の表示板eを西に折れて下りました。


五葉城 土塁bと堀切C   桝形虎口のような地形になっている
 道Bを登ってくると堀切Cの堀底道を通ります。折れを伴う枡形虎口のような地形でした。参考資料には載っていませんがどうでしょう。


五葉城 道B 北から   奥に土塁b   道は折れて西下に向かう
 道Bは尾根まで登って来ると南に直角に曲がって虎口地形bに向かいます。踏跡がしっかり残っているのは、この道が電力会社の送電線鉄塔の保守道を兼ねているからのようでした。


五葉城 道A  右に道B 間に凹んだ平場d     北から  奥に土塁b
 土塁bの北側下には窪んだ平場dがありました。東西の両側に土塁を設けたようにも見える興味深い地形でした。写真左側に今のハイク道A、右側に平場dを挟んで道Bが見えています。
 

五葉城 道B 途中の旧道と新道   西下から
 道Bの地山は細かに砕けた岩のガレ場のようで、ズルズルと滑りやすかったです。現在使われている道は直線的な部分が多かったのですが、古い道はつづら折れの道だったようで、随所に古い道の痕跡が残っていて「七曲坂」はここかもしれないと思わせる状態でした。
 古い道Bの痕跡を探しながら下りましたが、途中で近年敷設された林道に出会い、そこからは古い道をたどることが困難になりました。豊川用水路の愛宕橋に出る道を探りたかったのですが、体力の限界で唐澤橋から一般道へ出ました。

絵図に書き込まれた五葉城の「七曲坂大手口」とその道を探して歩き回りましたが、その候補として地形aと道B が有力な候補ではないかという、とりあえずの結論でした。