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和田支城Ⅲ 近江 和田谷の中央部に位置する遺構の残りが良好な単郭の城館

2022-05-20 | 歴史

和田支城Ⅲは滋賀県甲賀市甲賀町和田にあります。和田谷には和田氏の七つの支城群が存在していますが、和田支城Ⅲはその中央部に位置しています。土塁囲みの甲賀の城館の典型的な単郭の城郭で、主郭の土塁遺構や虎口は今も良好に残っていました。今回の資料は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」甲賀市史編さん委員会編2010です。


和田支城Ⅲ 和田支城群は和田川の流れる和田谷を囲むように築かれている ※和田の地名はワタ
 各城郭名は後世の命名で、公方屋敷は足利義昭が一時逗留したことによるとされます。
和田支城Ⅰ、Ⅱ、Ⅲはそれぞれ約200m間隔で並んでいました。
  ※和田支城Ⅰは→こちら   和田支城Ⅱは→こちら


和田支城Ⅲ 和田支城群は隣接して築かれている
 見学は善福寺に車を止め葉山橋を渡りました。往時の城道は個人宅になっているようでしたので、適当なところから登りました。


和田支城Ⅲ 和田川に突き出した尾根の先端部に位置する
 尾根先端部にⅠ郭は位置し尾根を断ち切る堀切は平坦面dとなっている。低土塁h、浅い堀切(溝?)k は防御性のない遺構で、Ⅰ郭南側は急峻な斜面(崖)となっているので一部に擁壁工事が行われている。


和田支城Ⅲ 虎口eが明瞭に残りる        見どころです!
 城道を直角に折れて虎口に入る構造で、虎口を守る竪堀g も虎口の守りを固めているようでした。


和田支城Ⅲ 竪堀g  上から
 虎口の東下には虎口に入る城道を守るように竪堀が設けられていました。現況では南斜面は急峻な崖状の地形ですので、この竪堀は無くても良さそうにみえました。


和田支城Ⅲ 虎口e Ⅰ郭内部から
 虎口e の両側の土塁もよく残っていました。虎口部分は少し盛り上がっていますので、曲輪内の水を逃がす排水路は別にありそうでした。


和田支城Ⅲ 虎口e と土塁m  西から
 土塁mの南側は急峻な斜面(崖)で現況では土塁が必要なさそうな地形でした。


和田支城Ⅲ 南辺土塁m の開口部j  Ⅰ郭内部から   外側は崖
 土塁の開口部j は一見虎口のようでしたが、外側は急角度の斜面(崖)になっていました。ひょっとすると往時はここに排水路があり、外部に通じる道もあったのが排水で斜面が崩落したのかもと想像しましたが、宅地造成の土採りなどで現況になった可能性もありそうでした。


和田支城Ⅲ 東辺土塁b    南東から 
 土塁bは北側で一段高い土塁C になっていました。土塁bは厚く天端は平坦でしたが、土塁Cは更に幅広で小屋掛けが想像できるほどの幅がありました。


和田支城Ⅲ 西辺土塁fとⅠ郭内部
 西辺土塁fは東辺土塁bに比べて、天端の幅が狭くなっていました。土塁fも北側で土塁Cに接続していました。Ⅰ郭内部の平坦面に遺構など特別な地形は見当たりませんでした。


和田支城Ⅲ 平場d 南から    右手にⅠ郭の切岸  堀切か
 平場dは北側の尾根を断ち切る堀切が設けられている場合が多い場所ですが、尾根を削平した広い平場になっていました。幅広の堀切とも見えますが、ここには何らかの建物が建っていたとしてもおかしくないと思いましたがどうでしょう。Ⅰ郭北側の守りの要は堀切ではなくて切岸と土塁だったかもしれませんね。


和田支城Ⅲ 低い土塁h と 浅い堀切k  北東から
 平場dの北辺には低い土塁hと浅い堀切kが設けられていました。城郭の防御施設としての土塁と堀切と言うよりも、尾根の雨水が平場d へ流れ込まないように設けられた溝のように思いました。

和田支城Ⅲは他の和田谷の城郭群とあわせて見学することができました。甲賀のスタンダードな山城で意外に遺構の残りがよくて良かったです。