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三河・小金城 城郭遺構が近年確認された山城。土坑と虎口の関係が興味深い

2020-12-11 | 歴史

小金城は愛知県岡崎市牧平町にあります。牧平地区には古くから所在する豊富神社があり、その神官を務める三浦氏が治めていたと伝わります。その後、戦国の世となり菅沼氏が一時領したとされます。
 小金城の名前は以前から知られており、場所も比定され、舟石がある場所だとされてきました。近年、岡崎市教育委員会が「岡崎市東部地域遺跡詳細分布調査報告書2010」を発行し、従来言われてきた場所を含めたよりも広い範囲を表示しました。
 新たに表示された範囲を愛知中世城郭研究会の石川浩治さんが調査され、旧来の比定地とは別の場所に城郭遺構とのろし場を確認し「愛城研報告」2013に論文を発表されました。
 小金城は(旧)比定地の情報で訪れたことがありましたが、今回「愛城研報告」2013の石川浩治さんの論文を資料として再度見学に訪れました。


小金城 城郭遺構は(旧)比定地と同一尾根筋の上部に所在し、最高所付近にのろし場がある
 (旧)小金城比定地は尾根の先端部で、舟石の付近とされ、遊歩道がつけられていました。(旧)比定地は自然地形しかなく「小金城には城郭遺構はない」とされてきました。


小金城 (旧)比定地付近の「舟石」  大きな椀状に加工された石が割れたものを集めたように見える
 何らかの宗教施設があったのかもしれませんが、舟石を改めて観察すると、元は椀状に加工された大きな石が割れたものを集めて、一部を台座にしているように見えました。
 論文によると図1のピーク1 にも舟状の石があるとなっていますが、山境の板状の石はありましたが舟石らしい石は見つけられませんでした。


小金城 城郭遺構を北西から見る。Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ郭と坂虎口が見える
 ピーク①を越えて尾根筋を登ると城郭遺構が見えてきました。(旧)比定地は自然地形でしたが、明らかに人の手が加えられた地形でした。


小金城 土塁、堀切は無いが竪堀は設けられている。北側へ構えた構造か
 Ⅰ郭には土塁がなく、尾根筋には堀切がありませんでした。Ⅰ郭の北側は急斜面になっていますので、両側の竪堀と合わせて、北側の谷筋から侵入する敵に対しての備えが厳重だったように思いましたがどうでしょう。


小金城 図2 竪堀a 上から  竪堀Cはこれよりも小規模
 Ⅰ郭の左右北側には竪堀aとCが設けられていました。北側の谷筋から上ってきた敵が南側に回り込まないような構えだったのではないかと想像しました。


小金城 虎口②からⅡ-1郭に上ると土坑1がある。土坑2と虎口③の関係と同じ意味合いか?
 図2 Ⅲ郭からⅡ-1郭に登る虎口②は風化して不明瞭な地形でしたが、虎口と見ました。虎口を登った先のⅡ-1郭には土坑1がありました。井戸やのろし穴とは考えにくい場所ですので、その意味合いが興味深い遺構です。


小金城 虎口③を登ると土坑2がある
 虎口③はⅡ-1郭が少し張り出して横矢掛りのように見える地形に犬走dから登ります。登った先には土坑2がありました。想像を思いっきり膨らませて考えると虎口からの侵入に備えて守備をするための兵が入る設備の一種で土坑1も同じ意味合いと考えましたがどうでしょう。
 なおⅡ-1とⅡ-2には段差があり2のほうが数十センチ高くなっていました。


小金城 虎口④ 南下には虎口受けがありⅡ-2郭には枡形が切れ込んでいた可能性がある  南下から
 虎口④は論文では後世の山道かもと慎重な見方がされていますが、枡形を備えた虎口で南側には虎口受けの地形があったのではないかと思いました。犬走dはここへ接続しているようでした。


小金城 最高所東側の尾根ののろし場  のろし穴は3か所が認められる
 城郭遺構から尾根筋をさらに上るとピーク2を経て最高所のピーク3手前に論文に示された「のろし場」がありました。のろし穴は尾根上に3か所ありましたが、上部にあるのろし穴が一番鮮明でした。

最高所のピーク③は人の手か加わった地形はなさそうでした。ピーク④まで行ってみましたが自然地形でした。
 小金城は石川浩治さんの探査で城郭遺構が確認され、おかげで今まで遺構なしとされていた城の遺構を見学することができました。