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近江・市場陣山城 鉄道工事と土地開発で一部消滅したが残された遺構は整備され見事

2020-12-15 | 歴史

市場陣山城は滋賀県甲賀市甲賀町大原市場にあります。付近に所在する補陀落寺が屋敷地で、陣山に築かれた市場陣山城はセットで存在したとの説もあります。
 城の南下を通る杣街道は古くからの道で、現在の東海道が鈴鹿を通るまでは近江と伊賀をむすぶ幹道だったとされ、その後も主要道として存在してきたようです。付近には市場地名も有り商業も栄え、市場陣山城は重要なポイントを抑える城だったと思われます。
 今回の資料は「甲賀市史 第七巻 甲賀の城」2010です。


市場陣山城 城域の北部が鉄道と土地開発で失われたとされるが、杣街道に面した遺構が残る
 旧市場、新市場の地名が有り、古い時代の杣街道は多少異なる道だったかもしれませんが、往時の道は市場陣山城の南側を通っていたと思われます。城は杣街道を見下ろす位置にありました。


市場陣山城 想定城域は資料を参考に想定
 Aの道は城域の南下を通る細くて古い道とみえました。以前はBの位置に建物があったようですが今は更地になっていました。城址の旧状は資料で東西50m南北80mとなっていましたので、およその寸法を想定しました。


市場陣山城 Bの平場が更地となり、遺構の全体が見やすくなった
 以前はBの場所に建物があったようですが、更地になっていましたので、全体が見やすくなっていました。竹ヤブの区画もBと同じような面積でしたが、往時のこの場所の利用形態は確認できませんでした。


市場陣山城 東から残存する遺構の全体をみることができる  右手に草津線
 草津線の建設時に土取または盛り土が行われたようで残された遺構の北側部分の草津線寄りの地形は、往時の姿ではなさそうでした。工事の手が入っていない部分では、往時の姿が確認できました。


市場陣山城 土塁①-③間の開口部は虎口と思われる ※資料では否定的
 往時の竹ヤブと平場Bの利用形態はわかりませんが、①-③間の開口部は矢印のようにD郭に入る虎口と考えられそうでした。資料では「その外側とは約三メートルの比高をはかるため虎口になるとは考えにくい」と述べられています。この虎口は農業用にも利用されていたと思われます。


市場陣山城 土塁①-③間の開口部  D郭内側から 
 土塁①-③間に虎口地形が有りました。現状の土塁①は櫓台のような土壇ですが、往時はD郭を囲むように北に伸びていたのではないでしょうか。資料の図では近代のDは果樹園、Cは畑地になっていますので農業用の後世の改変があったのではないかと思いました。


市場陣山城 土塁②-③間の開口部 周辺とのつながりでは虎口と考えにくい D郭内から
 D郭の土塁②-③間にも開口部が有りました。この開口部の外側は切れ落ちていて、その下には水路がありますので資料にあるように、こちらは虎口とは言い難い地形でした。あえて想像をすれば、ある時期水路に橋を設けて土塁を削って農業用の通路を作った・・でしょうか。


市場陣山城 土塁②と周辺の景色 草津線と宅地開発の住宅が目の前に見える 左下に水路
 土塁②は北側を草津線の工事で削られていますが、残された部分は往時の姿を彷彿させる見どころでした。
なお、見学時に地主さんが草刈機で作業をされておられました。ネット情報では遺構全体をヤブが覆っているのかと思っていましたが、おかげで残存遺構をすべて明確に確認できました。感謝!


市場陣山城 草刈りされて姿が明確になった土塁②  北から   左手にD郭
 写真の付近は地主さんが、今日草刈りをされたばかりでした。土塁の地肌がむき出しになっている姿を見学することができラッキーでした。

地主さんの整備のおかげで、遺構がハッキリ確認でき、足場も良かったので快適で大満足の見学ができました。