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城と歴史歩きを楽しむ

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越前・府中城と新善光寺城

2018-11-27 | 歴史
木ノ芽峠で四つの城址を見て今庄を通り越前町に入り小丸城を見学し府中城に向かいます。

府中城は越前市府中2丁目にありましたが、現在は越前市役所が建っていて市役所前に城址碑が立つのみです。
 古くは越前の国府が置かれ、中世には朝倉氏が府中奉行所を置き、これを前田利家が府中城として拡大し、慶長六年(1602年)本多富正が府中領の領主となると、その居館を置き、周辺に侍屋敷や足軽屋敷を配置するなど町全体を整備しました。
 

越前市役所前に城址碑が建つ


城址碑のみは寂しい
写真に収めて、帰りがけに駐車場の整理にあたっている方にお聞きしたら、庁舎の裏で新庁舎の建替え工事が行われていて、発掘調査がありお城の石垣が出たとのことでした。
 帰宅してから越前市のホームページを見ると、詳細な情報が乗っていました。


越前市のホームページより転載
主に江戸期の石垣が検出されたようですが、現在は新庁舎の工事のために石垣は除去されたようです。何年後かに石垣の再現展示もされる可能性があるようなので期待したいと思います。


府中城の表門が移築されているというので、新善光寺城跡の正覚寺へ向かいました。移築門は堂々とした高麗門で、両袖に門扉が付いていました。瓦は笏谷石のようでした。


正覚寺の裏の土塁上に立つ新善光寺城跡の説明板
新善光寺城は南北朝期の新田義貞に関連した城郭で、府中城よりも前の時代の土塁が残っているのが判りました。


正覚寺裏の東西に伸びる土塁 土塁上に説明板が立つ
写真は土塁断面を東から見ていますが、土塁は奥に(西に)向けて伸びています。1300年台の古い土塁が街なかでよくぞ残ったものと感心しました。


正覚寺の西側門付近の土塁 南北に短く残る
正覚寺墓地の西側の通用門の北側に土塁が短く残っていました。城跡が寺社になり遺構が失われることも多いのですが、ここでは正覚寺が造営されたので古い時代の遺構が残ったと言えます。