小林美希の取材日記(つぶやき)

取材を通して思う素朴な疑問や、日々の出来事を紹介します。 

青年団

2006-11-11 23:02:40 | Weblog
 昨日、千駄ヶ谷の駅を降りたら、若者がいっぱい!
 調べたら、第55回全国青年大会が11月10~13日まで開催されているという。全国各都道府県の青年団の若者が集まっているのだ。
 なんか、若い人がたくさんいるだけで、エネルギーを感じてしまった。
 うきうきした気分になった。

 私は、昨日、なんだか、すっきりした爽やかな気分でいた。
 外苑前の木が少し茶色く色づき、そんな発見をする心の余裕がでていた。

 ここ数カ月は、苦悩の日々を送っていた。
 出社しようとすると、お腹が痛くなり、気持ち悪くなり、胃も痛み、変な出血をしたり・・・。
 確実に、心身ともに調子が悪かった。

 こないだの「娘、息子」特集が終わって、また、いろいろと反響や励ましをもらい、勇気付けられ、なにがなんでも頑張っていかなきゃという使命感に燃えていながら、かなり、心身が病んでいた。

 が、ふっとスッキリしたのだ。

 私はもともと、高校生の頃に、ボランティア活動を通して、福祉の道に進もうと思っていた。それを、県の教育事務所(だったかな)の人に相談したら、「現場にきてもらえるのはありがたい。けれど、進学校に通っているあなたには、法律を学び、頑張って政治家になって制度を変えて広くみんなを助けて欲しい」といわれた。

 それをまにうけ、私は、東大→官僚→政治家と単純に思った。
 東大にはいけなかったが、その想いはずっと持ち続けていた。

 けれど、普通の人が政治家になるには、山かなんかを売るか借金しないとなれないと周囲の大人にいわれていたため、ずっと、政治家は無理だと思っていた。

 一番近い職業はなんだろう。

 大学生になって考えたのは、学者になって政策提言、弁護士、官僚、マスコミ、起業して松下幸之助みたいになる―――。
 だった。

 しかし、官僚は試験勉強に向かない。2年も浪人してしまったから、浪人覚悟の弁護士は避けよう(もっとあとでも試験は受けられるし)、学者も道のりが遠すぎるし、早く社会に出たい。試験ものは、30歳くらいになって思い直してからでも遅くないと思ってマスコミ中心に就職活動した。

 で、超就職氷河期。 
 私自身、およそ組織に向かない性格もあってか、かなり苦戦。
 卒業時、無職。

 (中略)

 なぜ、私がこの数年、若者雇用に固執しているかといえば、それが同世代の問題として国全体を考えても見過ごせないから。
 そして、私が政治家になれなかった分、自分の今ある立場で精一杯、やるべき使命感を果たすには、真剣にこの問題に取り組むべきと考えたから。

 自分の置かれた土壌で、最大限のことをする。
 でなきゃ、生きる意味がない。

 だから、私は商業主義が嫌いなのだ。
 経済記者としても、本物を提供できない企業が終わっていき、それができる企業は地味でも強く生き残り、輝いていくことを知っている。
 だから、私は記者である以上、職人記者でいたいのだ。

 誰がなんといおうと、嫌なことがあろうと、私は戦う。
 一人でも、雄々しく美しく戦う。

 戦う手段は、いくらでもある。

 だから、一つのことにこだわらないでいこう。
 一人でもやるんだ。

 そんな簡単なことに気づいて、ふっきれたのだった。

 超、つぶやき