月のたび

日々の日記

外国人労働者受け入れ絶対反対!

2018-11-04 21:06:16 | ひとこと言わせて!
先日横浜で横田めぐみさんの映画「めぐみ」の上映会に行った。

毎年行われているのに、今年は去年の5倍の参加者だという。

そういえば、寒川町の舞台劇も大勢の参加者だった。

日本人の心に拉致問題がもっと届いてほしいと思う。それでなければ、寂しい気がする。同じ日本人が国内から無理やり連れだされた、腹立たしい事件であって、今なお助けを求めているのに、無関心でいることのほうが、おかしいと思う。

そして、この拉致問題は安倍総理でなければ解決できないと思っているし、今の日本の憲法が解決の障害になっているのもわかる。戦後の日本の歴史は、敵性国家と敵性民族に振り回された散々なものだった。

いま99歳くらいになる祖母がいて、母から間接的に聞いたところでは、朝鮮人が大嫌いだという。それを初めて聞いた時、私の前ではあの温厚な祖母がそんな嫌悪思想を持っていることが信じられなかった。けれど、それがきっかけで、朝鮮人が戦後日本国内や引き上げ途中に日本人に対して行ってきたことを詳しく知るにつけ、私の心は暗くなった。

国際平和は嘘だと思った。

なのに、今でも、拉致問題は進行中で、中国朝鮮は日本の弱点である憲法の平和主義に付け込んで悪事をし放題であるのに、安倍総理は移民の受け入れをしようとしている。

私は今日本でがんばっている中国人朝鮮人を差別するつもりはないよ。いわれのない差別は嫌いだ。

けれど、今の日本国が中国と韓国、北朝鮮に受けているゆすり・たかりを、これからは、私たち国民が個人のレベルで対処しなければならなくなるのには大反対だよ。

そうなったときの苦労を、そういうゆすり・たかり民族が来ることで巻き込まれるのを想像するだけでも、すでに吐き気がする。そのくらい嫌悪感を先取りしてしまっている。

だから、安倍総理だろうが誰だろうが、実際、移民を推進する議員は、国に不要な議員だと思う。

本当にすばらしい一日

2018-10-29 23:12:15 | しみじみ(滋)
今日は午後から横浜へ。

横田めぐみさんの拉致の映画を見に行った。

行くかどうしようか、直前まで迷ったが、行ってみて良かった。

新幹線で他は寄らずに帰ってきただけだが。

主催者が言うには、今年の参加者は去年の5倍だという。寒川町の拉致の舞台の時も、平日なのに参加者が大勢いた。

草の根レベルで国民の意識が次第に確かに高まってきているのを感じた。しかも、昨年の5倍とは、もうすでに大ニュースではないか❗

こういう情報は自分で動かないと、掴めない。テレビや新聞のニュースが偏向著しいから。

今声を大きく言いたい。何の罪もない同胞が北朝鮮に拉致されているのは異常事態で、同じ日本人として目を覚まして、助けよう❗

明日はたのしみ

2018-10-28 21:49:14 | 政治(・・・?)
このごろ仕事がいそがしいが、明日だけは特別に横田めぐみさんの映画を見に行くことにしていて、着る服を特別に準備したり、夜の寒さに耐えられるよう厚着はどうしようか、電車の時刻を調べたり、翌日の仕事がスムーズにできるよう用意できるものを書き出したりした。

本当は仕事が忙しいので行くか行かないかで迷っていたが、新幹線利用で早く行き来する方法でなんとかする。

この拉致問題が今の自分にとって大事なもののような気がしている。

一人はみんなのために、みんなは一人のために

2018-10-23 20:55:39 | しみじみ(滋)
昨日言ったおばさんが亡くなった。

悲しい。

人はいつまでも幸せで仲良くいたいと思うけれど、幸せな時はいつまでも続かない。次第にみんなバラバラになってしまい、二度とくりかえすことのできない思い出だけが残り、そうして死んでしまう。

そういう時に、人として何が大事なのかと思う。

今思っているのは、直に声をかけて、相手のために何かすることだと思う。

そういえば、先日の北朝鮮による拉致問題の舞台公演に、なんとか出席して、そのうえ、舞台後に親族の方に、一言、「頑張ってください」ってこと言えた時は、ささやかだけど、いいものを感じた。

夕日の沈む相模の町に、いい風を頬に感じたよ。

よくわからんけど、自分に似合わず、淡い颯爽とした空気が心のなかに流れてきて、勢いで茅ヶ崎駅そばで牛タン定食にして、各駅停車で帰っていた。

人は助け合って生きていかなくてはならん。

悲しんでいる人があれば、そのひとのために、手を差し出すのが人間らしい生き方だろう。それ以上に大事なことがあるだろうか。

たとえ今は辛くても、明るい未来を信じるぜ。歌詞にありがちなフレーズだな。いや、ちょっと前のコピペ全盛の流行歌には飽き飽きですけど。

おばさん、ありがとう。

今あるしあわせ

2018-10-22 22:00:03 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング
今日、大叔母がすい臓がんだというのを聞いた。それで苦しんでいるって。

幼いころから、面倒見てくれて、お正月にはお年玉をくれた大事な方だ。

そんな大変なことがわかってから、私は自分のことを考えてしまった。

今の日常生活にいろいろ不安不満があるけど、それでも自分はまだ幸せだと気が付いた。

幸せとは何か、このごろ思う。

幸せは、誰かに聞いてもらいたいことの中にあると、このごろ思う。それと、誰かに対する思いやりの気持ち。

誰かと話をしていて、いい気持になれるのは、いつも、過ぎた昔の話を聞いている時だ。

どこ出身だとか、どこに住んでいて、どうだったとか、そういう話ができる相手って、本当に大事だな。

もちろん、嫌なことは不満なことはそれぞれ、いろいろあるだろう。

幸せだったときがあって、それがいつまでも続いてほしいと誰でも思う。けれど、時間が過ぎていって、幸せじゃなくなったとしても、それからが勝負の分かれ目だと思うのよ。幸せじゃなくなっても、意識高めにして、自分で自分に洗脳して、幸せだと思い込むようにする。そういうの何よりも大事と思う。

わかってほしいこと

2018-10-09 22:35:44 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング

久しぶりの投稿。

昨日の仕事は懐かしい方にお会いした。

5年くらい前に仕事をいただいて、見た目はおっかない、いかつい方だが、話してみると、何かしらいい感じ。

言ってみれば、『無心のこころ』を感じる相手だ。

○さんは、男性で70歳になったそうで、相撲が好きで、若いころは県内で何度も優勝したという。体を鍛えていて、70とは思えない恰幅のよい強そうな印象だった。

それでも、久々に会ってみると、懐かしさにこころ惹かれる。それが不思議だ。

5年ぶりに会うお客様なんて、ざらにあるのに、○さんに限って、いい印象を感じるのは、『こころ』のおかげで、しかも無心だからだろう。

あれから、温和だったお父様はなくなり、お母さまは施設に入ったという。

それで思い出したのが、過年亡くなった菅原文太さんの言葉だ。(若い頃は強くなりたいと思っていたけど、歳を取ってみると、弱くてもいい生き方はできることがわかった。)みたいなこと、言ってて、屈強な体躯の○さんが、私にはあんなに親切な言葉をかけて下さるのか、思うに、純粋な思いやりや親切心を大事にしているためだろうと。

そういうのは、とっても大事だと思う。

人はいくら強くなっても、台無しになってしまうようなことってあるよ。で、そうなった時に、もう元には戻らない過去を償うには、若い人たちに、いい言葉を与えたくなるだろう。

歳をとったら、もう若返りはできない。そのときに、若い人に代わりにわかってほしいことがある。そういうのがあるんだろうな、とかおもった。

一羽のアゲハチョウが飛び回る

2018-07-31 22:34:21 | しみじみ(滋)
今日は暑い中、一日中外仕事。

直射日光をできるだけ避けながら、休み休み草取り。

意識朦朧としていたが、塩タブレットを噛んで水を飲むと、一時間ほどで体の調子が良くなった。

日陰のベンチで休んでいると、どこからかアゲハチョウがそこの庭に飛んできて、何度も同じところを飛び回っている。

そこには何もきれいな花はさいてないのに、いつまでも二、三メートルほどの場所をあっちこっち、繰り返し飛んでいる。

チョウの命は短く、はかない。人が触れて、翅の粉がなくなると飛べなくなるというし、自由に飛び回れる期間はほんとうにわずかだ。道端に落ちて車にひかれるのもよく見る。いずれにせよ、今日のアゲハチョウもあと十日くらいで死ぬ。

それを思うと、急に悲しくなった。

こんな炎天で、日陰でも過ごしにくいのに、やはり外に出るといいことがあるものだ。

チョウにはチョウの気持ちがあるのだろう。

今日のアゲハチョウはまるで、人生を楽しんでいるように楽しそうに飛んでいた。まるで音楽みたいなリズムがあった。

仕事は今日は本当に儲けが少なくて、正直なところ、お断りして、他のもっと儲かる仕事に時間を使いたいところ、これまでの付き合いもあるし、相手の人柄は悪くないので、『お人よし』になってしまうのだが、こういう働き方も必要かなと思い、やっている。

そういう悩みを抱えながらの日中の出来事だった。

亡くなった誰かがこういう生き物に生まれ変わって、今を生きているかもしれない。そうとはいいきれないけど。

自然はいいね。

一緒にいて気持ちの良い人

2018-04-09 22:28:35 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング

今の私の悩みは、いっしょにいて気持ちの良い人じゃなさそうだってことだ。ちょっとかたくるしいし、気遣いが足りない。自分でもはっきりわかる。

なのに、どうすればいいのか、わからない。

何か人を不安にさせる冷たさ、みたいのがある気がする。

これではいけないので、少し勇気を出して、些細なところから、人に話すようにしてみた(昨日と今日)。それでいいのかどうか、まずとにかくやってみている。

けれど「最後に勝つ」っていう目標があって、時間をかけても、精一杯、最後までやり抜く自分であるには、今なにくそって思ってやるぜ。

思うに、こういうのは、何か目標を持ち、一生懸命やっていれば、いつかは道が開けると思う。中村元先生の言っていた、「与える」こと。私の場合は、自分自身を相手に与え、自分の言葉を与えるということだろう。わかっていても、難しい。けど、やる。よろしく。

では寝ます。おやすみなさい。

自分のことは、自分でやりたいように生きる

2018-03-25 16:52:23 | 気遣い心配り思いやりのトレーニング


今日は施設にいる祖母の面会に行ってきた。

入居して半年ほどになるだろうか。

一時期病気になって、体調不良だったそうだが、実際会うと元気そうだった。

言葉がよくわからなかったけど、言わんとすることはわかった。

わかるのは、さすがに積極的で前向きな祖母の人柄だ。できなくても、わかってもらおうとする熱意みたいのが、自分よりも立派だ。昔の人ほど生命力が強そうだ。

あと、別れ際に、いつものことだが、ちゃんと挨拶をする。それも、確かに祖母だった。

けれど、なるべくなら、長年暮らした家で歳を取ってほしいものだ。

人間の自由というのは、命と同じくらいに尊いものだと思うからだ。たとえ、毎日がマンネリの連続だとしても、自分の選んだ生き方で好きなように生きられるのは、何物よりも大切だ。歳をとっても同じことだ。人間らしい生き方ってそういうものだと思う。

それで、私はそんな祖母に何をいいたかったのか、その場で考えた。その時に、まずは落ち着くことだ。呼吸を深く、ゆっくりすれば、安心する。その状態で、心に浮かんだことを、何でもいいので口にすると、会話ってうまくいく。

この会話のコツを、忙しくなったり、焦ったりしてると、つい忘れちゃうんだよな。今年は、少し油断すると、些細な原因から、よくないことが起きそうな気がするので、会話には特に気を付けるようにしている。

来週は花見に行く。電車で目的地まで行き、そこからさらに長距離歩いて、写真を撮ってくるので楽しみ。

春はせつない別れ

2018-03-23 22:48:21 | しみじみ(滋)


季節はめぐる。

春の思い出で強いのは、卒業。

卒業したくなくても、季節が来れば卒業するの。そうなることがわかってて、だからあらかじめどういう生活したいのか、ちゃんと準備してなくてはね。

私はなんとなく、凡人な人生を送りたく無くて、独創的なのが好きでね、だから、ちゃんと就職先を探さなくて、それで終わりになっちゃった。

でも、そうしてから、何とかなった。かなり遠回りをしたが…。おかげで今は自由なことができている。もちろん、いろんな方のお陰である。

それでも、いまなお強く思い出すのは、春になった時の、卒業の切なさだな。保育園からずっと卒業式は切ない思い出の繰り返しだ。

そんな私でも、最後に死ぬときには、「やったー」っていう気持ちでいたいと思う。それだけは、大事なことだと思う。そうなるには、お互いが仲良く協力して、二度と繰り返さない一日一日を一生懸命、精一杯やりぬくことだと思っています。