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サワラちゃんの加計呂麻日記
-057
ここ暫くは全国中が大水害、雷、竜巻などに見舞われております。
被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
今年は気象が昨年よりもますます異常になっているとか。年平均気温が2度上昇するであろうとか。40℃以上の超高温の日が何日もありました。西南諸島は34~35℃程度が最高で、本州辺りよりも過ごしやすい気温なのです。 今年の異常気象は海流の変化と影響があるのでしよう。沖縄では海水温の上昇で珊瑚の白化現象、北海道では暖流系の魚の漁獲が有ったとか。
気象の変化だけでなく、全世界の政治経済にも大きな影響を及ぼしているのかもしれません。日本の尖閣諸島の確執、南沙諸島の領土問題、中国国内の政治経済の混乱、エジプトのクーデター、シリアの毒ガス問題・・・・離島の紺碧の海を見ていれば、世界には何にも問題がないように見えます。全世界がこのような状況になってくれれば宜しいのですが・・・・・・
島暮らし-001
石垣島・小浜島
こんな島なら住みやすいかな。唯、外から見るからそうなんで、どうなのかな?
今月の8/31で、いよいよ離島・加計呂麻島暮らしも2年になります。目出度く9月になれば3年目に突入! 都会生活が殆どの爺にとって(来年は70歳になります)離島暮らしは、生まれて初めての生活。 島に来る前に知人の医者から頂いた、BRUTUSという雑誌一冊。
特集は「島暮らし」。
中を読むと、抱腹舌鋒の記事が書いてある。<ホンマかいな?X>という感じ。 それでは、数回にわたって島暮らしの実体験をご紹介!
1-<魚は切り身で売っていない>
その通り。魚屋はおろか肉屋、コンビ二もない。人口千人足らずの奄美大島のさらに離島。魚欲しけりゃ猟師に頼むか、釣るしかない。 朝、波の穏やかな日の傍の海岸には、大きさ1m位の美味しそうな奴が数引き悠々と泳いでござる。 銛が有れば取れそうな感じ。でも、簡単にはいかぬが。
海岸の渚に転がっていた生きの良い魚(美味しかった!)
2-<寝ても覚めても海と山>
その通り。 どこを向いても山と海。平らな所は集落の周辺ばかり。隣の集落へも断崖への細い道(一応県道・林道・町道)を九十九曲がりに曲がりながら至る。真っ直ぐな道は無し。爺の故郷の北海道には一時間車で走っても、真っ直ぐな道があると言うのに。この島の住民は信用せぬであろうが。
3-<台風で屋根が飛ぶことがある>
その通り。 瓦屋根は一軒もない。トタン屋根が主流。何故?風の強さが半端ではない。爺の自宅もトタン葺きで鉄の鎖で数箇所が地上に繫がれている。これで大丈夫。風速50m位は当たり前。80mも珍しくない。土地の人はノット単位で言う。風速50mを100ノットと呼称。初めは吃驚したもの。事情が分かるまで暫しポカ~ン!
↓ 海岸は傍。鎖が斜めに掛かっていますね。
4-<虫の居る暮らし>
その通り。 ハブやその他の毒蛇は覚悟していたものの、居るは御座るは・・・蚊、アブ、ダニ、蜂、バッタ、コウロギ、フランクフルト並みの太さのナメクジ(これは気持ち悪かった)、カタツムリ、名前不肖の虫達・・あっ、ゴキブリ・・沢山の種類の蟻達。
ヤマナメクジ コウロギ(住居不法浸入)
5-<よく停電する>
その通り。 台風が来ると大方停電になる。近くの崖が崩れ送電線が切れてしまう。初めの内はバイクに乗ってそれを確かめに行ったものですが、最近は慣れたもの。悠然としています。<その内、点くさ>でも、冷蔵庫、家電製品は大打撃。爺のように貝等を水槽で飼っているものは大変。海水を頻繁に浜から運んでやらないと生き物が全滅する。それで結構、殺してしまいました。
前置き無しの停電が頻繁にある。工事の際の停電らしいが? 気にしない、気にしな~い。
6-<最寄のスーパーは来るまで30分>
とんでもない。 自宅から車で港まで20~30分(近い人で)。中には1時間も掛かる。フェリーは一日4便。海上タクシーも7~8回もあろうか。フェリーで大島本島の古仁屋まで30分程。フェリー乗り場から歩いてスーパーまで15分。順調に行ってですよ。 海が荒れれば即欠航。 行ったきり返れぬこともある。海上の状態把握は大事なこと。 晴れれば快適であるが時化たりしたら大変。船の揺れに弱い人は辛抱のみ。 老人がやたら多いから大変でしょうね。(69歳の爺は若い方・老人ではない)
フェリー・かけろま・350t
7-<生活必需品は意外と高い>
その通り。 手作りの本箱は本州のスーパーで¥800。 なれど驚いた。組み立ててあったが¥3.000円。<おばちゃん・間違いでない?>と言いかかったが、即止めにした。フェリーなどの船賃が販売価格に反映している。
最近は殆どAMAZONに頼っている。家に居てクロネコヤマトに運んでもらって、運賃はタダ。代引き手数料¥300円のみ。生もの以外は全て纏め買いをしている。ですから、大型冷蔵庫、大型冷凍庫は絶対必需品。家庭菜園をしているから野菜は心配なし。来年からは釣りに挑戦するつもり。何せ大きな奴が悠々と泳いでいるのだから・・・勿体無い! ?? 卵は鶏農場に行けばよい。
生きが良いでしょ。敵に襲われたみたいね
最近、離島、陸の孤島などに I ターン者 が増えております。しかし、それらの方々の中には一抹の不安が有ると思います。それで、爺が生の情報をお話したいと思います。
喫茶店でちょっと一服
株式市場の天気予報
8/27 13.542.37 -93.91 ↓
やはり、上値傾向線は破れなかったですね。偉大なるかな傾向線さま。近日中には破るでしょう。下に行く理由は見つけられません。市場の方達がビビッて居るだけ。罫線の上下幅がだんだん小さくなっていくのがミソ。 どちらかに大きく動くサインです。
大丈夫!爺ちゃん
13,26週移動平均線のデッド・クロスを避けるためには、モタモタしてはいけないのですよ。 ハヨ、上がれヤ! でも、シリアが騒がしくなってきた!
「金融経済学超入門講座」
今回からいよいよ本論に入って行きたいと思います。先ずは「昭和恐慌と金解禁」
1920年前後の政治経済情勢と金解禁
ケインズ
当時の世界の政治経済情勢
英国が産業革命を経て近隣各国がそれに右習いをしながら、欧米諸国の資本主義経済は発展しました。恐慌の発生は1825年英国で初めて発生しましたが、その後米国(1837年)、ドイツ(1847年)、フランス(1847年)、日本は1900年と次第に広がりを見せました。
資本主義の発展に伴って、周期的に恐慌が発生するようになりました。恐慌の原因は生産の過剰、所謂、供給過剰によるものとされております。10年前後の周期で産業革命を行なった国々が次々に恐慌を経験しました。1929年の米国・ニューヨークから発した大恐慌は世界的なレベルの巨大なものでした。日本に於ける最後の恐慌でも有りました。
銀行取付騒ぎ
* 恐慌・・景気の後退が急激に起こり、経済と国民生活が大きく混乱すること。リッセッションと呼ばれる景気の後退とは違う。
当時、米国と密接な関係のあった日本経済は深刻な打撃を被りました。世界貿易は縮小を続け、縮小均衡経済となって行ったのです。そして、次に出てきたのは各国の不況脱出の方法論としての、ブロック経済の創設でした。
まず、英国が自国のブロック外からの輸入の禁止、輸入割り当て、高率関税、外国為替を国家が管理して輸入を制限するという手法をとり始め、それが各国に広がったというわけです。貿易立国をしてなる日本は当然大打撃を受けるのは当然でした。
* 英国のブロック ・・・植民地や同胞諸国(米国、カナダ、オーストラリア、インド、その他)
ドイツではカルテル、米国ではトラストというような独占体が創設され、アダム・スミスの時代のような完全競争市場経済は考えることが出来なくなって行きました。
英国、仏国、米国のような海外植民地を沢山持つ持てる国々、持たざる国であるドイツ、イタリア、日本は経済圏の拡大で対立するようになり、後日、第二次世界大戦の原因になったのはご存知の通り。弱肉強食の資本主義経済の本来の姿でも有りました。各国はその後自らを帝国と名乗り、レーニンの言う 帝国主義=資本主義の最後の発展段階 に世界が立ち至って行ったのです。
レーニン
帝国主義とは独占体と金融資本の支配が成立し、資本輸出が際立った意義を帯びるように至り、国際トラストによる世界分割が始まり、最後に資本主義国による地球の全領土の分割が完了した段階の資本主義・・・・・・・・・・・レーニン
簡単に申せば日本の政治経済が、英国に端を発し、世界中に伝播した大波をまともに受けるようになったということになります。単なる日本独自の異変ではなかったわけです。政党政治が崩壊の道を歩み、軍閥が幅を利かせ、産業資本がそれに伴い、大陸進出を企てたのは、なにも一陸軍の勝手な行動から出て来たものではなかったのです。
世界の大勢に沿うように、<バスに乗り遅れるな>という思いが、日本のあらゆる階層に横溢していたのでしょう。日本が中国(満州)、朝鮮半島に繰り出して行った、あるいは行かざるを得なかった・・・・この思いが後日「大東亜共栄圏構想」に発達して、日本をアジア侵略に駆り立てていった嚆矢となるでしょう。その是非は今後の歴史家が考えることですね。
大東亜共栄圏構想
↓ 東条首相
現在の韓国、中国の<歴史に学べ>という、時間・空間感覚の錯覚した論議は、これには当たりません。単なる身勝手なヒステリー的発言だと考えます。 時間のスケール、当時のおかれた政治経済的国際環境を、慎重に考慮しなければなりますまい。一時の中国$韓国と合致した感情論では理解不能になりますね。これは彼らの身勝手な近視眼的歴史観なのです。
当時の社会主義経済体制と資本主義体制の経済比較
完全自由競争から発展して、帝国主義的な段階に至り、世界分割を模索していた頃、世界のある地域ではこのような体制とはまったく違った政治経済体制の国々が存在し、比較的順調に恐慌も経験せずに発展しておりました・・・・社会主義経済体制の諸国でした。
↓ 1929 大恐慌
社会主義体制経済と資本主義経済体制の比較
↑ 世界大恐慌
1929年の世界大恐慌の前後を比較すると、際立った違いが見られます。上昇と崩壊が。 この極端な違いが修正資本主義へと世界経済が変化しだし、ジョン・メナード・ケインズの代表的理論「雇用、利子および貨幣の一般理論」が登場して来るのでした。ケインズ理論の政策化の嚆矢は、米国における<ニューディール政策>でもありました。
ウイルソン大統領
当時の世界政治経済の中は ブロック経済の確執と社会主義体制 の二大潮流が渦巻いていた事になります。これは日本国内も同様でした。そのような経済状態の中で時の内閣が取った金融政策が、<金解禁>の施行と取り止めの交互の連続でした。
本日の最後は<金本位制>について、簡単に書いて見ましょう。
国家の金保有量を通貨価値の裏づけとする制度で、通貨を金に交換できる(兌換性)。戦前、各国がブロック経済に移行するまでの制度
金本位制の自動調節作用
A・ 好景気で輸入が増え、貿易赤字になれば、国家の保有金は海外に流出する。これに伴って通貨供給量が減少するので、物価は下落する。
B・ 物価の下落により、輸出競争力が高まり輸出が増加し、景気回復に繫がる。これに伴い海外から金の流入が増え、通貨供給量が増加し、物価が上昇する。
井上 準之助 高橋 是清
1930年に当時の浜口 雄幸内閣が断行した<金解禁>によって、13年ぶりに金本位制に復帰したわけですが、円の価格・・平価を新、旧何れするかということで大混乱が生じたのでした。ここでかの有名な大蔵大臣(元 日銀総裁)井上 準之助が歴史の表舞台に登場して来るのです。
最後は少し専門的になってしまいましたが、次回はこの金本位制、金解禁に至った事情を政治経済学の面から考えてみたいと思います。
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