茜ちゃんの「島日記」
-008-04-02
奄美の離島にワニが現る!!
事件は10/31頃起きたようだ。奄美大島本島と離島を結ぶフェリー乗り場に、
突然ワニが発見された! その場所から離れた太平洋岸の集落へ向かう道路でも一匹。
鰐は勿論いない島である。しかし、40年程前には太平洋岸にワニが海上を、
木に乗って渡って来た事があるという。今回は何処から来たのだろう?
↓
大きくなると巨大な鰐に成長する。
港の付近の人が飼っていたのが逃げ出したのか?
あるいは南方から台風の風に流されて、海上を渡って来たのか・・
島の中は毎日大騒ぎ。噛まれたら大怪我をする。
観光客が多い季節。毎日不安な日々。
ひょっこり、自宅にワニが来たら・・・怖いね!
赤鶴の世界
能面作家の系譜の中で、「十作」と呼称される鎌倉時代から足利時代にかけての能面作家がいる。
日光、弥勒、越智、夜叉、龍右衛門、氷見(日氷)、福原文蔵、赤鶴、小牛、徳若。
越前大野の出身で13世紀末頃に活躍していたとされている。名は「一刀斎 / 一透斎」
作域は広く鬼畜の面から女面まで向かうところ敵なしの名品が多い。
特に「鬼畜面」では抜群の出来の作が多い。三井文庫などにも沢山の名品が所蔵されている。
70歳過ぎてから時の足利政権に疎まれて、世阿弥と同じく越後の沖合に浮かぶ「佐渡島」に流される。
何故、佐渡に流されかは正確な理由は解らないが、一説には人を殺した罪でという説もあるが、
時の政権との政争に巻き込まれたのではないかと推測する。ある意味では世阿弥と同じであろう。
現在の佐渡市の両津市にある「本間家能舞台」から東方向にある、
「久知河内」内にある「卍・長安寺」というところに居たと言われている。
現在は交通の便利な所で不便さはないが、当時はどうであったろうか?
能面師としては超一流の能面師であったことは間違いない。
何れ、「赤鶴」の特集を組む予定である。ご期待ください!
面打ち再開!
-14
孫次郎の秘密!
010
ヲモカゲ・孫次郎
現在まで延々と「ヲモカゲ・孫次郎」について、現代の一流の能面師である、
「橋岡 一路」「初代 堀 安右衛門」「長澤 氏春」「高津 絃一」作の<孫次郎>をご紹介して来た。
又、安土桃山時代から江戸時代の掛けて活躍した、是閑、河内の孫次郎も紹介して来た。
河内家重 長澤氏春
河内は鎌倉・足利期の名人・石川龍右衛門を師匠として憧れ、長澤氏春師は同じく河内に憧れ、
逝去日は河内と同じという程の明治~昭和の名人であった。
見事な河内様式の孫次郎。写しというものの見本のような作品に出来上がっている。
この孫次郎の原点は石川龍右衛門の伝統の型である。「ヲモカゲ・孫次郎」とは全く違う、
これが一つの「孫次郎」の定型である。鼻の切り方、口、眼の切り方が全く違っている。
鼻筋は河内は明らかに左に振っている。ヲモカゲは右である。
石川龍右衛門の孫次郎 鈴木慶雲師・「能の面・上」
少なくとも鈴木慶運師や上記の能面師の頭には、これが主流の孫次郎の型という認識があるという事であろう。
「ヲモカゲ・孫次郎」
それに引き換え、橋岡 一路師、初代 堀 安右衛門氏の孫次郎は、上記の孫次郎とは全く違う。
どちらもヲモカゲ孫次郎の本面を傍に置いて写しを取っている。
孫次郎(国立博物館資料)
河内と同時代の面打ちである天下一・是閑の孫次郎である。
名作と駄作が共存すると言われる作者。確かに本歌はヲモカゲ孫次郎のようだ。
これが是閑かというレベルの作品。本当は違うのではないかと思う位である。
初代 堀安右衛門 作 本面・ヲモカゲ 孫次郎
初代 堀安右衛門 作 ヲモカゲ 孫次郎
初代 堀安右衛門氏の作は流石である。写しの見本みたいな作品か。
誠に申し分ない作品に仕上がっている。如何であろうか。
突然見せられると見分けがつかない。
ご本人も書いてる事であるが・・ヲモカゲ孫次郎の写しは非常に難しい。
低い頬の辺りは非常に難しいと・・・
橋岡 一路 作 ヲモカゲ 孫次郎
何れにしても何も言う事はないほどの 名品に出来上がっている。
以上のことから、「孫次郎」には二つの型が存在することが、明らかに理解出来る筈である。
能楽師・金剛孫次郎頼勝 孫次郎
専門家の説にはこの江戸初期の金剛流の太夫・ 金剛孫次郎頼勝が「ヲモカゲ 孫次郎」の作者とするものがある。
しかし、これまでの説明からする論では、これは成り立たない。天下一是閑が頼勝の面を写すであろうか。
彼の性格と持っている技量からすればあり得ないことは明白である。
金剛太夫 金剛右京久次(幼名・孫次郎)が打った面であることが理解できる。
1- 金剛太夫 金剛右京久次(幼名・孫次郎)・・・1537~1564
2- 金剛太夫 金剛孫次郎頼勝 ・・・江戸初期・・1662~1700
その方が無理が無いのである。頼勝は違うと考える。
結論-01
「孫次郎」という女面の型は石川龍右衛門より以前に存在した、面打ち師によって創作された面である。
石川龍右衛門作の「孫次郎」が現実に存在している。これは動かせない事実だ。型は「ヲモカゲ」とは違うのも明らかだ。
金剛右京久次はこの孫次郎を写したのである。しかし、この写しが途轍もない名品であったという事だ。
時代が進むにつれてこの金剛右京太夫作の孫次郎が「ヲモカゲ」という名を付けて、
現代まで途轍もない影響を与えたという事であろう。いろいろこの作品には物語が付いているが、事の真偽は解らない。
本当かもしれないし、後の人が造った物語かもしれない。
この「ヲモカゲ孫次郎」の女面は、数ある女面の内の上位3つに入る名作であろう。
1-「雪の小面」・・石川龍右衛門 2-「増女」或は「節木増」・・増阿弥 久次
3-「ヲモカゲ 孫次郎」・・ 金剛右京(孫次郎)久次
結論-02
専門家の批判を恐れずに言えば・・・
この「ヲモカゲ 孫次郎」の真の作者は、金剛右京太夫作ではないと思う。
金剛家の太夫は確かに古来から面を打っているのは事実だ。これは江戸時代の中期以降までも作品群は有る。
金剛孫次郎頼勝だけでなく中々の腕前では有るが、名人の作とは言い難い。それは止むを得ない話である。
しかし、この「ヲモカゲ孫次郎」は作品として飛び抜けている。
能楽と云う芸能を知り抜いているかのようである。そして、良く考えて打っている事が解る。
舞台の効果まで十分配慮された打ち方だ。もはや、本格的なプロとしか思えない。
太夫の余技のレベルを超えている。真実は解らないが、憶測として・・・・
この面は名もない当時の面打ち師が打った名面であろう。
石川龍右衛門の作品は非常に多い。しかし、全てが本人の作であろうか。疑問である。
中には弟子の作品も混じっている事であろう。それには経済的な理由が根底にあるであろう。
何時の時代も同じだ。作品を世に売りすのは中々難しいのである。
「伝 石川龍右衛門」とは「或はそうかもしれない」という事と同値である。
ここを間違ってはいけないと思う。「ヲモカゲ孫次郎」にも隠れた秘密が有るのだろう。
筆者はこのように穿って考えている。如何であろうか!